戸川純、椎名林檎、大森靖子――“性”を歌う不思議ちゃんが勝ち得た、女子の生き方とは?
これは男や社会に「女を押し付けられる」ことに拒否感を持つ女の子にとっても、素晴らしい戦略だった。なるほど、不思議ちゃんになれば女を押し付けられずに生きられるのか。少女のまま、自意識と個性を保ったまま生きていくことも可能なのか。JJガールが「私は女だから、男の考える理想の女になってあげますよ」という生き方ならば、不思議ちゃんは「私は女だけど、そう簡単に男の幻想には付き合わないわよ」という生き方なのである。いい奥さんいいお母さん、良妻賢母コースからの戦略的逸脱と言ってもいい。
だからこそ、「大人女子」も「オトナミューズ」もまだいない80年代、エキセントリックな「トンガリキッズ」だと自負する少女は、蜷川実花をはじめみんな戸川純の虜になったのだった。
『勝訴ストリップ』/EMI Records Japan■ゼロ年代の「歌舞伎町の女王」椎名林檎
戸川純が切り開いた不思議ちゃん戦略を踏襲し、いっそう確信犯的に推し進めたのが、ゼロ年代の「歌舞伎町の女王」椎名林檎である。「女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲したときにすべてを失うだろう」(「歌舞伎町の女王」より)援助交際やコギャルもピークを過ぎた1998年、戸川純から遅れること14年、椎名林檎は満を持して世に出たのだった。世は誰もが見られることを意識する“コスメ”の時代(筆者の著書『コスメの時代』に詳しい)。茶髪や細眉はもちろん、過剰なネイルやピアスも当たり前。ガングロやヤマンバが跋扈する不思議の国ニッポンで、もはやナースの制服や花魁の着物でちょっとやそっとコスプレしただけでは不思議ちゃんになれない。そこで彼女は次の手を編み出した。
「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」「下剋上エクスタシー」装いだけでなく、言葉でもコスプレを行ったのだ。難解な日本語にエロティックなカタカナを故意にぶつけて、その衝撃を着たのである。落差をまとったと言ってもいい。
この戦略は功を奏した。同時代に登場した浜崎あゆみがファッションと歌詞の単調さからヤンキーを主要顧客としたのに対し、椎名林檎は戸川純以上に知的なおじさんまでをも魅了したからだ。だいたいおじさんは性を知的に表現されるとイチコロだ。ちょっと前の壇蜜ブームにもその片鱗がうかがえるが、「エッチなことを言うときもなるべく文学的な表現を心掛けております」((C)壇蜜)におじさんは弱い。男という生き物は、その落差にエロスを感じるようにできているからである。
ともあれ、カラダとコトバでコスプレする椎名林檎はインテリ系不思議ちゃんとして地位を確立し、ゼロ年代を席巻するようになった。
そして2011年、「女の子は誰でも」を歌う頃には、資生堂マキアージュのCMモデルに選ばれる。化粧品のCMに出るということは、女子を代表するということである。ゴクミや武井咲と不思議ちゃんが同列に並んだのだ。不思議ちゃんの時代がやってきたと言っても過言ではないだろう。それはつまり、「女の子は誰でも」不思議ちゃんの要素を持っている――確信犯的に演じるしコスプレもするのだ。理想の女なんて本当はどこにもいない、私たちは男の幻想に付き合ってあげているだけなのよ、ということを知らしめた瞬間でもあった。
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