なぜ「DRESS」は叩かれてしまうのか? アラフォーがオシャレをする意味を考える
「DRESS」(幻冬舎)の連載に「藤原美智子のビューティ人生相談」というページがあります。ヘア&メークアップアーティストの藤原美智子さんに読者が質問するというコーナーですが、今月号の読者からの質問が自由すぎて痺れました。「会社の同僚を家に招くのだが簡単で見栄えのするレシピを教えて」だそうです。それって果たしてヘア&メークアップアーティストに聞く質問なのか。料理も私のビューティの一部というわけでしょうか、どれだけ見栄っ張りなんですか。アラフォーの傍若無人さなのか、変化球を狙った編集部の作戦なのか、今号から『男子ごはん』(テレビ東京系)で人気急上昇中の栗原心平さんのレシピページが始まったっていうのに、企画大またぎです。
<トピック>
◎うふふ、の贅沢必需品。
◎AERA for DRESS 浜田敬子(AERA編集長)の今月の女ジャーナル
◎もしもあなたの『人に言えない恋』の相手が、シブイ年上だったら……
■「DRESS」な女とは、恵まれた女
「DRESS」には毎号、冒頭に「AERA」(朝日新聞出版)編集長の浜田敬子さんのコラムが載っています。「AERA」で特集した記事を振り返り、女の仕事や社会環境についての問題点や課題が述べられていて、ここはかなり硬派なページです。今月号は40~50代の女性に降りかかる介護と育児の問題について語っています。これらの世話に板挟みになってしまう人は「サンドイッチ世代」と呼ばれているそうです。福祉の行き届かない社会で、仕事と介護や育児の両立の難しさを目の当たりにして暗澹たる思いがします。
浜田編集長も少し書いていますが、自分に介護の重圧がかかってくるかどうかは、本当に「運の問題」です。親に対して、育ててくれてありがとうなどという殊勝な気持ちがない私は、「一切面倒を見るつもりはない」と断言しましたが、そう言える薄情な人は日本には少ないでしょう。親が元気に動けるかどうか、介護が必要になるかどうかは、自分の行いの結果で決まるわけではありません。いつ自分に降りかかってくるかわからない問題。自分1人で抱え込まない大らかな感覚を持つことが必要とはいえ、それで全てが解決するわけではありません。
現実を突きつけられて大きな不安を頭に残しながら読んだのが、「DRESSな女、100の定義」です。今まで、「DRESSな女」「DRESSな女」と誌面で連呼してきたものの、それがどんな女なのか、今ひとつはっきりしませんでした。今こそ、「DRESSな女」がはっきり定義づけられるわけです。この企画は、100の定義を2回に分けて掲載するそうで、今月号には50ほど紹介されています。ワクワクしながらページをめくりました……が、うん、ちょっと期待しすぎたかな。「DRESS」な女とはどんな生活をする人なのだろう……また「週末は韓国にマッサージに行く」人というようなイメージづくりなのか、それとも「チャリティに参加する」人なのか、どんな女性像を提示してくれるのかと思っていたら、実際は「まつ毛と爪が清潔である」「もっと、学びたいことがある」など、要は全身華美にする必要はないけれど手を抜くな、精神的には大人になれ、というようなことが挙げられていました。コスメの紹介も多かったので、カタログ的な意味合いも強いページだったようですが、冒頭の「AERA」編集長コラムが頭に残っていたため、このページを読んで、ある疑問が思い浮かびました「DRESS」読者は、一体なんのためにおしゃれをするのだろうか、と。
まだ幼く、中身が充実しているわけではない10~20代のうちは、人として成熟しているわけでもなく、ともかく身体的に美しい時期なので、着飾ることに熱心なのはもうさがというものでしょう。他人の人生を背負うわけでもなく生活自体がフワフワしていて、七色の泡のようなものにお金も時間も存分に使うことができます。