「CanCam」ブームのアンチだった20代後半女性が、いま“女性誌難民”と化した理由
「mina」は、アンチモテ派の女子が封印していた「性」への興味も満たしてくれました。当時の「mina」には、「an・an」(マガジンハウス)もびっくりのセックス特集がたびたび掲載されていたからです。「男の子って××の時は何を考えているの?」といったマニュアル記事の数々。これを買わない手はありません。
そんな彼女たちを、後押しする男子の存在もありました。モテ系ギャルを密かに見下し、エビちゃんの「CanCam」も、益若つばさの「Popteen」も、07年頃から売れ始めた「小悪魔ageha」(インフォレスト)も、「露出が多すぎてちょっと……」という男子大学生は多かった。そんな彼らの間で、当時人気だった女優の1人が、宮崎あおいです。彼女は、「mina」風のカジュアルなイメージ。「モテたい欲」ギラギラのギャルよりも近づきやすい感じがするし、性格も良さそうと、男子からはかなり高評価でした。
あからさまなモテファッションはイヤだけど、どこかで男子ウケも狙いたい「自意識過剰女子」は、「mina」片手にモテカジュアルの研究に走ったのです。「アンチモテ」だったはずの彼女たちも、主流派の「モテ勢力」にはかなわなかった。サークルや学部という環境で人間関係を築くために、適応力を発揮させたのです。
■そして、読むファッション誌がなくなった
さて、年を重ねた「mina」カジュアル女子は、「着る服がない」という事態に直面します。「mina」はもう子どもっぽいし、10年頃「付録付き」で100万部近いヒットを飛ばしていた「sweet」(宝島社)の看板モデルだった梨花や平子理沙、吉川ひなのは世代が違いすぎる上、バービー人形のようなモデル体形でリアリティがありません。それに、もともと個性派だったファッションマイノリティ女子は、バービーにあこがれて女磨きをするほど、「女」を意識しているわけではないのです。
同世代のファッションアイコンである紗栄子も、その「おしゃれセレブ感」が気になって馴染めないという人も少なくありません。「私はおしゃれセレブにあこがれるほどバカじゃないぞ!」という意識があるので、紗栄子を好きになれないのです。社会人になった今、私はどんな雑誌を読めばいいのだろう……そんな迷いを抱えて書店をうろつきながら、時々「InRed」(宝島社)や「MORE」(集英社)を立ち読みするうち、気がつけばアラサーになっていたのです。
それでも、「アンチモテ」だった女子は「雑誌」が好き。「モテ」という一大勢力に対し、それとは違う生き方を教えてくれる「雑誌」があったからこそ、「私には個性がある」と信じることができました。
もう一度あの頃のように、個性的な服で自己表現をすればよいではないかと言われるかもしれませんが、例えば「KERA」のファンタスティックでキッチュで、そしてゴシックな世界観は、ナルシシズムまみれの夢だけを追求していればよかった10代の専売特許です。アラサーになったかつての“ケラっ子”は、夢の世界から巣立っていくほかありません。
彼女たちは、思春期の頃から「モテ服はイヤだ、でも恋愛はしたい、男子から好かれたい、でもファッションで自己表現もあきらめたくない」と試行錯誤を続けた結果、いつのまにか「微妙に個性的なモテカジュアル」という、なんとも中途半端なところへ落ち着いてしまいました。「誰がなんと言おうと、私はこれが好き!」10年前、正面切ってそう思えた、あの「アンチモテ精神」は、今も彼女たちの中でくすぶっています。
(北条かや)