「モテに翻弄され続けた世代」20代後半女性の“女性誌カルチャー”と“くすぶり”の遍歴
そんな「Seventeen」系やギャルたちの欲望に共感できない女子には、2種類います。まずは、いつの時代もいるであろう「ファッションに全く興味がないタイプ」。この手の女子はクラスメイトから「オタク」や「3軍」などと蔑まれていました。
もう1種類は、おしゃれに興味があって恋愛もしたいけれど、「Seventeen」系やギャル系にはなれないタイプ。露骨な男ウケは狙いたくないけど、おしゃれには興味がある。ただ、ファッションはモテるためではなく、「個性を表現するもの」だと考えているのです。今思えば、私はこっちに入るのかなと思います。今で言うところの「こじらせ女子」「サブカル系」「モテない系女子」でしょうが、当時は自分たちのような女子を表すカテゴリー名はありませんでした。よって、このタイプの「自意識が発達した女子」は思春期にして、服装における「私って一体、『何系』なの?」問題に陥ったのです。
■アンチモテの象徴としての「KERA」
2000年代前半は、ちょうどヴィジュアル系バンドの全盛期。ファッションマイノリティ女子の中には、そうしたヴィジュアル系バンドの音楽性とファッションに、自らのアイデンティティを見いだした子たちがいました。
彼女たちは「あんまりメジャーじゃないバンド」のボーカルやギタリストに、自らのマイノリティ感を投影していたのです。彼らの音楽に聞き惚れている間は、マジョリティ勢力、モテの呪縛から自由になることができた。彼女たちが愛するのは同級生の男子ではなく、V系バンドのギタリスト、いや、もっと言うなら、彼らの「精神性そのもの」でした。それは、「俺たちのスタイルは、決してマジョリティではないからこそ意義がある」という主張、そうした「強烈なまでの自意識」です。彼らに近づくためには、彼らと同じ衣服をまとう必要があります。そのためにこのタイプの女子がハマったのが、ゴシックロリータ、古着、パンク、デコラファッションです 。
00年代前半のゴスロリファッションは、「音楽」と切り離すことのできないものでした。彼女たちは、お小遣いで「SHOXX」(音楽専科社)といった音楽雑誌のほか、「KERA」(ジャック・メディア)を買い、読みふけったのです。ゴスロリ以外にも、原宿系ファッションの発信源だった「CUTiE」(宝島社)、「Zipper」(祥伝社)は、「Seventeen派と私たちは世界が違う、私たちは個性的なのだ」と自負する女子のバイブルになりました。
当時はやっていた、矢沢あいの『Paradise Kiss』(祥伝社)やその前作『ご近所物語』(集英社)も、私たちの「ファッションで自己実現したい欲」に火を付けました。今の20代後半世代が中学の頃は、「手作りブーム」の全盛期。2000年に出た「KERA」特別編集の「ゴシック&ロリータバイブル」第1号には型紙がついており、母親に教えてもらいながら一生懸命、スカートやヘッドドレスを作った人もいるのではないでしょうか。
こうして、20代後半世代が高校生だった04年頃、ゴスロリやデコラ系ファッションがようやく市民権を獲得します。あの頃の「KERA」には、「モテよう」という煽りはなく、その代わり、やたらと「東京へ出よ」というメッセージを発していました。原宿ストリートスナップでは、地方なら後ろ指をさされかねない奇抜な服装の男女が、無表情でこちらを見つめています。その表情からは、「自分たちは東京で個性を表現しているのだ」という自信が感じられたものです。「東京のおしゃれ」を見せつけられた「ファッションマイノリティ女子」は、「とにかく東京へ出ない限り個性的にはなれない」と、焦燥感に駆られました。
一方、当時大ブームだった「JJ」が提唱する「神戸エレガンス」や、華やかな巻き髪の「名古屋嬢風ファッション」は、「個性」よりも「伝統」と「血筋」を重視します。「JJ」では、芦屋のお嬢さんがブランドバッグを母親と共有するなど、代々受け継がれる伝統を大事にしている様子がうかがえます。04年頃からブームとなった「名古屋嬢」も、伝統的なお嬢様学校出身のコンサバな女性が理想。「JJ」の価値観では、「お嬢様の血筋」は、「KERA!」のような奇抜なファッションの“かりそめの個性”を上回る価値があると思われていたのでしょう。それはもちろん、お嬢様の血筋やコンサバ性が、収入の高い男性に受けがよく、上昇婚へとつながるからです。こうした価値観に対抗する女子たちが、「KERA」や「CUTiE」「Zipper」から、「よい結婚を目指すコンサバモテ」ではなく、「個性と夢を大事にしよう!」という主張を感じ取っていたのです。
(北条かや)
(後編につづく)