介護休業で母を看取った女性管理職、「これ以上続いたら仕事は辞めるしかなかった」
少子高齢化が進む中、若年介護や介護独身、育児と介護の時期が重なるなどという新しい介護の形が顕在化し、その厳しい状況が問題視されている。これらは、離職にもつながることが多い。今後こうしたケースが増えていくと、社会的な損失も大きくなることが予想される。今回は、そんなギリギリのところで踏みとどまった女性管理職の話をお届けしたい。
<登場人物プロフィール>
青山 理恵(49)金融系企業の東北支店長。独身
青山 律子(73)青山さんの実母。神奈川県で1人暮らし
■母の入院、仕事のトラブル……追い込まれていた
青山さんは大企業の管理職だ。総合職として採用された最初の世代という気負いと責任感もあって、私生活よりも仕事を優先して働いてきた。ここ数年は支店長として、2~3年おきに全国各地を転々としている。
青山さんの父親は10年以上前に亡くなっており、実家には母親が1人で暮らしていた。弟も転勤族なので、本社出張の際には必ず母親のもとに寄るようにしている。元気だと思っていた母親が、病気がちになったのは3年ほど前からだった。
「はじめの頃は、骨粗鬆症で骨折を繰り返すようになりました。庭先で転んで大腿骨を骨折したときは、手術をしなければならず、付き添いも必要とのことでした。ちょうどその頃は新しい支店に配属されたところだったのですが、無理を言って休ませてもらいました。骨折だから、会社に迷惑をかけるのも今回だけだと思ったのですが、今思うとこれが母の衰えの始まりでした」
手術後もリハビリで3カ月ほど入院したが、付き添いは必要なくなったので赴任先に戻った。母親が退院してからは、毎晩電話をかけることが日課となっていたが、半年ほどたったある日、いくら電話しても出ない。留守にするとは聞いていない。胸騒ぎがして、母親が仲良くしている近所の人に様子を見に行ってもらった。
「心筋梗塞で倒れていたんです。あと30分遅かったら命にかかわるところだったとお医者様に言われました。それでも予断を許さない状況で、しばらくは会社を休まなければならなくなりました。このときも仕事をなんとかやりくりして駆けつけたものの、重要な取引先との間で深刻なトラブルが発生していて、支店長の私で収められなければ新聞沙汰になりそうなほどの状況だったんです。母に付き添いながらも、頭は仕事のことでいっぱい。病室を抜け出しては部下に連絡をするような綱渡りの状況で、かなり追いつめられていました」
■介護休業制度で母の看護に専念することを決めた
そして青山さんは「信じてもらえないかもしれませんが」と言いながら、この頃自分の周りで起きた不思議なことを話しだした。
「病院に行く途中で、それは大きなヘビがいたんです。真冬なのに。歩道を塞ぐほど大きくて、怖かったのでガードレールを越えて車道を歩いたくらいです。ちょうど親子連れとすれ違ったんですが、彼らもびっくりするだろうなと思いながら振り返って見ていると、何事もないように普通に歩いて行ったんです。キツネにつままれたような感じでした。病室の母も、『いくら田舎でも、こんな季節にヘビなんているわけない』と相手にしてくれません。気になっていろいろと調べてみると、ヘビは神様の使いで癒やしを意味していることがわかりました。それで腑に落ちたんです。今は苦しいけれど、神様が守ってくれているって。実は何年か前から、仕事で大変な状態になると、写真にオーブがはっきり写ったり、家の中で天使の羽らしきものを見つけたりと、神様が守ってくれていると思えるできごとが続いていました。今回もきっと母は治るし、仕事のトラブルも落ち着くと確信しました」
介護の話だ。決してスピリチュアルな話を聞こうとしたわけではない。それでも青山さんは、信じることで救われたのだ。そしてヘビが暗示していたように、本当に母は後遺症もなく回復し、仕事のトラブルも収束したという。
「ただ、いつまでもこんな状態では、母も私もいずれ行き詰まる。どうにかしなければならないと思っていました。弟とも話し合わないといけないと思っていたときに、今度は母が末期がんだとわかったんです。高齢で、たいした痛みも感じていなかったせいか、発見が遅れたんです。もう手術もできない状態でした。ただ入院したのがちょうど年末だったので、ひとまず職場には迷惑をかけないで済むのが幸いでした。でも、さすがに今回は奇跡的な回復は望めないでしょう。年明けからは介護休業制度を利用して、母の看護に専念しようと覚悟を決めました。私は職場では、部下に育児休業や介護休業を推進する立場でした。だったら、こんなときに利用しなくてどうする、と」
介護休業とは、介護のために通算約3カ月仕事を休むことができる制度だ。青山さんは責任ある立場だったので、決して簡単に取得できたわけではない。
「うちの会社でも育児休業は普及していますが、介護休業はまだ取得する人が少ないんです。管理職の私が前例として取得すれば、後輩たちも取りやすいでしょう。働きやすい環境を作ることも女性管理職としての役割だと思ったんです。母も頑張ってくれました。3カ月間、私が悔いのない看護をできたのは母が立派だったから。ずっと私のことを気にかけてくれて、最期は『ありがとう』とまで言ってもらえました。そして私の介護休業が切れる前に、静かに息を引き取りました。まるで、私の介護休業期間中に逝こうと計画していたように。後輩たちのためにとか偉そうなことを言いましたが、これ以上母の看病が続いたら、もう仕事は続けられないかもしれないと思っていましたから。でも、みんながみんな、うちの母のようにいくとは限らない。後輩たちには、なんとかしてサポートしてあげたいと思っています」
「ヘビは、見なかったんですか?」と聞くと、「今回はさすがにどこにもいませんでしたねえ」と苦笑した。