鬱で倒れた義母を見直した嫁――「義理の家族はもう同志のような存在、実親よりも長い」
ベネッセホールディングスから大量の顧客情報が流出した問題の衝撃は大きかった。成人したうちの子どもらも、かつては「こどもチャレンジ」「進研ゼミ」の会員だった。当初は他人ごとだと思ったものの、考えてみると生まれる前後の「たまひよ」から、有料老人ホームまで、ベネッセが取り扱う商材は幅広い。いや、縦長い。まさにゆりかごから墓場まで。ということは、子どもらの情報もまだ残っていて、結婚して子どもが生まれるとき、そして介護が必要になるときまでデータはずっと活用されるはずだったのだ。そう思うと、今回の発覚の発端ともなった、ちょっとフェイクの入った住所で登録するような用心深さも、危機管理の一環としてはもはや当然のことなのかもしれない。
<登場人物プロフィール>
鳥居 妙子(46) 北陸地方で開業している夫の医院を手伝う。東京にいる予備校生の一人息子がいる
鳥居 徹郎(55) 妙子の夫。「鳥居医院」の院長
鳥居 澄江(80) 徹郎の実母。徹郎宅の隣に住む
鳥居 まゆみ(51)徹郎の妹。独身。澄江と同居している
■家事も仕事も完璧だった義母
鳥居さんは夫、義母、夫の妹と暮らしている。一人息子は、医学部を目指して二浪中。医学部受験専門の予備校に通うために、今年から東京で寮生活を送っている。ずいぶんと力と金をかけていると思ったら、それもそのはず。鳥居さんの家は夫の祖父の代から続く医院なのだった。夫が院長、鳥居さんは事務全般とスタッフの管理を任されている。義母や義妹と同居しているとはいえ、大きな敷地の別棟だからそれほど気兼ねをするわけでもなさそうだ。さすが開業医、である。
「息子がいなくなって、一気に年寄りばかりになりました(笑)。おまけに今は、義母がほとんど寝たきりの状態なんです」。
鳥居さんが「お嫁に来た頃」(この表現も久しぶりに聞いた)、医院は義父と夫の二人体制で、義母が事務長として裏方業務全てに采配を振るっていたという。
「その頃が病院の規模も一番大きかったと思います。スタッフも今より多く、入院患者さんもいました。義父の人柄もよかったので、地元の人たちから信頼されていました。何より義母がしっかりした人だったから、そこまで大きくできたんだと思います。家事も完璧で、医院がいくら忙しくても手を抜かない。私には何一つ太刀打ちできませんでした。そんな義母にとって、私は“できない嫁”でした。夫が最初勤務していた総合病院で、私は看護師として働いていたんです。義母と義妹には、嫁が看護師というのがどうにも許せなかったようで、結婚はしぶしぶ認めてもらいましたが、それは厳しく当たられましたね」
嫁が医院で看護師として働くのは他スタッフの手前もあるからと許されず、ずっと専業主婦だった鳥居さんが医院の事務を手伝うようになったのは、義父が倒れ、介護が必要になった10年ほど前だった。義母と義妹は、義父が亡くなるまで数年にわたって“完璧に”介護し看取ったという。そのおかげで鳥居さんは義父の介護にほとんど関わらずに済んだのだ。
「『義父の介護は私たちがしっかりやるから、あなたは徹郎が仕事に専念できるよう、支えなさい』と言われました。それに、四代目となる息子の教育も抜かりなくやれと。義母と義妹も息子のことを溺愛していましたから、医院のお手伝いよりも息子の教育の方がプレッシャーが大きかったですね。大人4人の目が息子だけに注がれているわけですから、息子も窮屈だったと思います。そういうこともあって、二浪が決まったとき、東京の予備校に入ると言った息子の気持ちを尊重したんです。もちろん義母も義妹も大反対でしたが」。
■一人息子の二浪が決まり、義母が鬱に
医者になって医院を継ぐしか選択肢のない一人息子の重圧は想像に余りある。
「義母と義妹には『妙子さんの血を引いた』と言われましたよ。医学部に進学するには成績がいまひとつ……。本人はかわいそうなくらい大人たちの期待に応えようとしているんです。小学校の頃から家庭教師をつけて、スポーツが好きなのに、部活動も中学校の途中で辞めてしまいました。小テスト一つでも、義母や義妹が毎回チェックするし、ちょっと薄着をして出かければ『風邪をひかせるのか』と私が怒られて、上着を届けに行く。主人も息子がいつかポキっと折れるんじゃないかと心配して、義母には内緒で『医院は継がなくてもいい。お前の好きな仕事をしていいんだ』と言ったのですが、こういう環境で育った息子はおばあちゃん思いで、『期待にそむきたくない。何が何でも医者になる』と」
持てる者は持てる者なりのつらさもあるということか。
「だから、息子が二浪しているという今の状況も、私たち夫婦にとってはまあ予想できたこととも言えます。ところが義母は息子以上に思いつめていたようです。現役で合格するのは難しいとは伝えていたのですが、一校不合格になるたびにやつれていってしまい、浪人が決まるととうとう寝込んでしまいました。すっかり老けこんでしまって、もう以前の義母ではなくなりました。医院のことを考える気力もなくなったようで、私はやりやすいと言えばやりやすいんですが、義母がいたからスタッフさんに厳しいことも言えたし、ときにはやんわりと辞職を勧めたりもできた。人を雇うって簡単なことではなかったんだなと、今更ながら義母は立派だったなぁと感じています」
鳥居さん夫婦と義妹は、だんだん回復するだろうと楽観していたが、息子の二浪が決まり、家を出たことが義母の病気を決定的にした。鬱だった。
「何でも完璧にやらないと気の済まない義母でしたからね。息子の進学は義母の努力ではどうにもならなかった。幸い義妹がいるので、義母のお世話は義妹が中心になってやってくれていますが、鬱の家族がいると周りも精神的に参るんです。義妹も昔は義母と一緒になって私のことを見下していましたが、義母がこういう状態になったら協力し合わないとやっていけません。もう実の親よりも長く一緒にいるんですよ。同志みたいな感じかな。介護の気晴らしに月に1回は息子のいる東京に行って、あれこれ世話を焼いてくれています」
将来息子が医者になれるかどうかよりも、息子が両親と叔母の3人の介護をするのかと思うと、他人ごとながら息子に同情してしまった。いや同情すべきは、息子の嫁の方か。