「ホステス 夫バラバラ殺人事件」――“男の暴力は寛容”という社会に殺された女たち
■時代も女たちも暴力への認識なき時代
この事件に登場する“小物”は、この時代を象徴するようで興味深い。普及し始めた新幹線、コインロッカー――。特に、赤ちゃんやその遺体をコインロッカーに捨てる事件が多発したのは、今回の事件の翌年1973年。そして74年には大阪市のコインロッカーに爆発物が仕掛けられるなどの事件が立て続けに起きている。
その一方、肥溜め、流産の後始末、キャバレー、えびすさまの置物など、今では珍しい“昭和の香り漂う”舞台装置も登場し、興味深い。そしてもう1つ、当時の事件報道を見ていて驚くのが、妻に対する夫の暴力への認識だ。当時DVという言葉も、いや概念さえなかった時代だが、それにしてもあまりにも鈍感だ。それはマスコミ報道を見てもはっきりとわかる。「男の暴力には寛容」という当時の風潮を色濃く残したものだから。
「4つ年上の姉さま女房。だが、亭主の飼育には、完全に失敗した」など問題意識のかけらもなく、また「ホステス妻がマゾに耐えられず」などと暴力を一種のプレイと捉えるタイトルさえ存在する。さらに「2人のホステスはレズ」「夫婦生活を目撃した真由が嫉妬して気持ちが爆発した」などと加害女性の関係を揶揄したものもあった。これらは加害者女性たちの“職業”も拍車をかけた。キャバレーホステスがダメ夫に腹を据えかね殺害した。痴話げんかの果ての衝動的殺人、と。
だが本当にそうだろうか。夫の長年にわたる暴力にもかかわらず、妻はそれを相談し訴える場所さえない。一度は逃げたのに、2年もたって見つけ出され、つきまとわれる――。これは現在大きな問題となっているストーカー、DVとソックリ同じ構造でもある。考えれば、ストーカーやDVが増えているのにも理由がある。長らく、家庭内や恋人間の暴力は犯罪として認められることがなかった。「家庭内の男の暴力」「つきまとい」は犯罪ではなく、単なる痴話げんかという扱いだった。そうして闇に葬られていた数々の暴力が、今やっと表に出てきた。だから統計的数字が増えているにすぎない。
夫の暴力に晒され、犯罪を犯した女性は多い。過去の事件を振り返ると、女性たちはいかに暴力に晒され、慣らされ、虐げられ続けてきたのか、暗澹たる気持ちになる。だが当時の社会(男)も、そして女たち自身でさえ、夫からの暴力が犯罪だという認識などなかった。
東京オリンピック、新幹線開業、大阪万博――経済成長華やかなりし時代。しかもたった40年ほどの昔、女性の置かれた環境は過酷だった。もちろん今でも、それは全て解消したとは言い難い。今年、国連薬物犯罪事務所が「2012年に世界で起きた殺人事件の犠牲者のうち、15%がDV犠牲者で、女性が7割近くを占める」と発表した。女性にとって夫は、家庭は、ある一面では最も危険な存在、場所になる。
40年前に起こった「夫バラバラ殺人」の裏には、DVとストーカーが存在した。このことは、深く記憶に止めておきたい。
(取材・文/神林広恵)
【参照】
『なぜ、バラバラ殺人事件は起きるのか?』(作田明著、辰巳出版)
「週刊明星」(72年8月13日号)
「女性セブン」(72年8月16日号)
「週刊大衆」(72年8月17日号)