「ホステス 夫バラバラ殺人事件」――“男の暴力は寛容”という社会に殺された女たち
(前編はこちら)
宏はしばらく八代につきまとった挙げ句、マンションに居座った。真由も夫婦の間のことだからと遠慮し、あまり口を挟まなかった。1LDKの狭い部屋で、3人の同居生活が始まった。もちろん宏はここでも働かず、カネをせびり、酒を飲み、暴力を振るった。八代が必死に貯めた30万円ほどの貯金も全て使ってしまう。
そんな中、犯行当日の昭和47年6月23日昼を迎える。そこには伏線があった。前の晩は友人たちがマンションに集まり、徹夜で賭け麻雀をしていたが、宏は負けが込んでいた。翌日、宏は前晩のことを引きずり不機嫌だった。そして八代に当たり散らした。一緒に麻雀をしていた八代も疲れていた。だが宏はお構いなしだ。そして「昼飯を作れ!」と命令する。八代はたまらず反論した。
「今日も私は仕事だから、休ませて。ご飯なんか勝手に食べてよ」
それを聞いた宏は逆上した。台所にあった刺身包丁を持ち出し、振り回した。八代はとっさに宏から逃れ、近くにあった金属製のえびすさまの置物で宏の頭を殴った。包丁を離し、倒れ込む宏。それまで心配そう様子を見ていた真由が、すぐさま包丁を拾う。真由はそのまま宏の背中を刺した。何度も何度も――。
こうして宏は妻とその友人ホステスに殺された。この日、2人は宏の遺体を風呂場に運び、その後はいつものようにキャバレーで仕事をしている。普段通りやらなくては疑われる。そんな心情だったのだろう。
翌日、真由は商店街の金物屋で両刀ノコギリ、水色のゴミ袋、ボストンバッグを買った。そして浴室で水を出しっぱなしにした上で、宏の遺体を解体していく。バラバラにした理由は単純明快。そのままでは重たくて運べないからだ。バラバラ殺人事件は時にその残虐さばかりがクローズアップされるが、「遺棄に困って」という理由は大きい。特に女の犯行の場合、怨恨だけではなく、一種の“利便性”でバラバラにするのだ。ともあれ、この日2人は朝から“作業”を始め、およそ8時間かかって遺体をバラバラにした。頭部、手足、そして胴体は2つに切るなど、7つに解体していく。血の臭いを消すために香水を振りかけながら。
さらに翌25日。2人は生首と胴体下部をボストンバッグに入れ、マンションを出る。途中の新大阪駅では重い胴体部分だけコインロッカーに預け、西宮を目指した。そこは八代が生まれ育った生家があった場所で、亡くなったばかり母親の墓もある。近くに肥溜めもあったことから、2人はそこに遺体を遺棄しようと決めたのだ。
■名古屋―新大阪、新幹線で2往復して遺棄
殺害現場のマンションから少しでも遠く――。しかし女の力では限界がある。臭いや人目も気になる。そう考えた末、土地勘があり、そこそこ遠い実家周辺を選んだのだろう。そして新幹線だ。昭和39年に開業した新幹線は、まだまだ料金が高かった。当時、東京―新大阪間は5,000円ほどだから半額として2,500円ほどだろう。そしておそらく新幹線で殺人犯がバラバラの遺体を運んだのはこれが初めてだろうし、その後もそんな話は聞いたことがない。そして2人は一度だけではなく、同日に2往復してバラバラ遺体を運んだ。これも体力的に劣る女の犯罪ならではだろう。
2人は昼前、西宮の遺棄場所までたどり着いたが、人目もあることから遺棄をあきらめ、持ち歩いていた生首も新大阪のコインロッカーに入れて、名古屋にとって帰る。そして今度は両手と右足をボストンバッグに詰めて、再び名古屋―新大阪経由で西宮に行く。そして持ってきた両手右足を、近くの草むらに隠した。さらにもう一度新大阪駅に戻り、コインロッカーから取り出した頭部と胴体を西宮へと運んだ。そして夜9時頃、静まり返った村の肥溜めに遺体を捨てた。バラバラにした遺体の残り部分は知人男性に「真由が流産して後始末に困っている」と頼み込み、車で山中の埋立地に遺棄したという。
それからおよそ1カ月後の7月28日。肥溜めの所有者がゴミ袋を発見、中にバラバラ遺体があったことで事件は発覚する。遺体は損傷が激しかったが指紋が検出され、前科のあった宏の指紋と一致したことから、遺体発見の2日後には八代、そして真由が逮捕された。