爆発的ヒットの裏側を検証

ミリ単位の技に興じ職人化する日本のメイクが失った、「美しさ」のバランス感覚

2014/04/10 21:00
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Photo by Enid Yu from Flickr

 先日、ローマに短い期間滞在してきた。そこで出会った女性たちはミラノの女性ほど洗練されていはいないが、一様に「女」を感じさせる肉感的な美しさを持っていた。とにかく、「生きている」エネルギーがすごい。日本では「美魔女」ブームを端とし、アラフォー、アラフィフ女性たちの「若く見える=美」の志向が加速しているが、はたして、アモーレの国イタリアではどのような女性が美しいとされているのだろうか。コスメティックプランナーの目線で探っていきたい。

■「自己に向かうメイク」の日本と、「感情を乗せるメイク」のイタリア

 イタリアのファルマチーア(薬局)では、日本のドラッグストアのような膨大なスキンケア商品は置いていない。ほとんど決められたメーカーのメディカル系コスメがどこにいっても並んでいるだけで、ことさらPOPや広告で売り出していない。また「何か新しくて良い商品があったら買おう」と店を訪れる女性も少なく、薬を買うついでにいつも使っているスキンケアアイテムを買う、という感じであまりスキンケアにエネルギーを注ぐ文化がないように感じた。そもそも、シミを必死に隠したりシワをどうにかしたいというニーズがあまりないのかもしれない(もちろん、一部のボトックスマニアは別だ)。

 スキンケアではシミ・シワをとにかくなくしたい、メイクでは若返りたいというのが、多くの日本女性の願望ではないだろうか。そこの願望に向かい、熱心に努力する。女性誌のメイク特集でも、ミリレベルのアイラインの引き方で違いを出す方法や、黒目がちに見えるメイクテクニック等、職人技の世界が繰り広げられている。自己満足のためのメイクだと言えばそれまでだが、メディアが提供するマニアックな情報を嬉々として受け入れ、なおかつそれをこなしてしまう、日本人のDNAに染み込んだ職人レベルの手先の器用さと集中力が、日本のビューティを生み出しているのだ。

 もちろん、そこには男性にモテたいという願望もあるだろうが、なにより同性からの「完璧なメイク」という評価を求めているではないだろうか。イタリア人女性には、同性女性の中でメイクテクニックで尊敬されたいという「女子モテ」のニーズは感じない。もし、イタリア人女性に、デート前にミリ単位のメイク法を実践してもらったら、おそらく途中であきるだろう。そんな時間をかけるなら、すぐにでも恋人に会いにいく、という女性がほとんどではないか。


日本の職人 (講談社学術文庫)