大沢樹生が著書で綴っていた、子育てへの葛藤と「良き父親」像への自己陶酔
ところで、父親としての大沢は、息子の学校行事やサッカークラブのお手伝いにも積極的に参加したという。
<お茶当番の仕事は忙しい>
などと言う大沢の姿は、ブイブイいわせていた光GENJI時代からはまったく想像もできない。とはいえ、キャンプでバンド演奏をしたり、「キャンプだホイ」の曲をロック風に<キャンプだHOI!(HOI!)>にアレンジしてみたりと、大沢流を炸裂させていたようだ。しかしこれで、<子供たちは失神せんばかりに狂喜乱舞した>というから、さすが光GENJI。
<もしかしたら光GENJI全盛期のコンサート以上に盛り上がったといっても言いすぎではないかもしれない>
とまで言い出した。また、温かい環境の中で支えてくれる父兄にも感謝し、<父兄だけの飲み会のときはカラオケで強制的に光GENJIの曲を歌わされるが、そのくらいお安い御用である>と、父兄の中で光GENJIを歌う大沢。これら、幸せそうな描写を見ると、ますます14年現在がこんなことになっているのが不思議に思えてくる。
とはいえ、子育ては難しい。
息子がコンビニで万引きしようとしたことがあった。その時、息子を店の駐車場で、<バッチバチにしめた>という。<俺の剣幕に、店員も客も目を丸くして驚いていた>が、もちろん本気ではなかった。しかし、<鬼のように怖い顔を作りながら、内心では(俺もプロやなあ……)と変なことに感心していた。どうもギャラリーがいると、役者の血が騒いでしまうのだ>と、大沢は自己陶酔しているようにも見える。そして大沢の育児論もつづられる。
<息子が誰かに痛みを与えたときは、「お前があの子に与えた痛みというのは、こういう痛みなんだよ」とためらわずにぶっ飛ばした。それが俺の思う『痛みを教える教育』だった>
クラスメートの女子を蹴飛ばしてしまった時には、相手の親の前で土下座して謝罪したそうだが、<理不尽な暴力は、当事者だけでなく、周囲の人間も巻き込んでみんな不幸にしてしまう。犯人だけでなく、犯人の家族も世間から白い目で見られてもしょうがないのだ。俺は無言のうちに、そのことを息子に教えたつもりだった>と語り、これは「親が背中で教える教育」だという。しかし、その2週間後にまた男子の家に土下座に行くことになると、<子どもの教育って、なかなか難しいもんなんだな……>と振り返る。やはり、どこか「父親」に酔っていたように見える。
出版された頃から年月がたっているため、現在とは環境も大きく変わっていることだろう。巻末には息子と新しい奥さんとの幸せそうな写真が掲載されていて、明るい未来を予感させるまま本書が結ばれているだけに、ここから現在までの間に、何があったのか、環境がどう変化していったのか、ますますわからなくなる。大沢親子が、また親子水入らずで鍋をつついたり、カラオケで光GENJIを歌って笑える日が来ることを祈りたい。
(太田サトル)