「ガーリー」「女子」ブーム終焉で、女性たちの意識が向かう先とは
いまや、40代女性までもが大手をふるって「女子」と言えるようになっているが、このところ「脱・女子」化の傾向が顕著だ。モデルの梨花はガーリー路線を卒業し、シンプルテイストに変更。「an・an」(マガジンハウス)ですら「もう、女子は卒業です」と銘打った特集を組んだ。女子を捨てた先に、私たちはどこに向かうべきなのか? 女子と女性の間の深い溝について考えていきたい。
■社会における「女子」と「女性」
「大人女子」「メガネ女子」「女子会」……。女子をつけたネーミングが巷に溢れているが、「an・an」のアンケートによると、女子と言っていいのは平均28.7歳まで。30代を過ぎても自分を女子の括りに入れるのは「イタイ」と思われてしまう可能性があるのだ。
そもそも、公に女子とつく呼称としては「女子児童」「女子中学生」「女子高校生」「女子大生」「女子校」など主に学校に通う年齢の女の子、またその学校などに使われることが多く、未就労でかつ社会的に大人と認められていない女の子につけられる場合が多い。もしくは、「女子社員」など働く女性を総称して呼ぶ場合に用いられている。対して「女性」が付く呼称は、「女性医師」「女性弁護士」「女性議員」「女性企業家」など、信頼と実績を求められるような業種が多い。シビアな男社会で生き抜く女の人を表すのか、そこには女子の文字はない。つまり、社会における「女子」の呼称には、男性と互角に張り合う存在ではないという、若干の“媚び”が含まれている気がしてならない。
「女性議員」などと同じく、高倍率の競争社会を生き抜き、信用や実績も求められる仕事にアナウンサーがある。社会的には、「女性アナウンサー」と呼ばれるべき職業だが、一般的に「女子アナ」と呼称されており、ブランドのようにもてはやされている。そこには、男社会からの彼女たちへの「甘え」の目線が見え隠れし、同時に女子としての「モテ」を求められているのだ。
いみじくも「女子アナ30歳定年説」というのがまことしやかに囁かれているが、先の「an・an」のアンケートとも重なる。「女子」という名前が職業名についているがゆえに、一般人よりもシビアに「女子」である賞味期限を意識せざるをえない。ある意味、「女子」であり続けることに一番厳しい職業だ。
■女における「女子」と「女性」の揺らぎ
そもそも、なぜ大人の女でさえも自分を「女子」と呼びたいのか。「女子」と呼ばれることに拒否感を覚える女性がいる一方で、進んで自らを「アラフォー女子」などと呼ぶ女性がいるのは、なぜなのだろうか。おそらく、自分たちの中に残っている、ピュアな部分や弱さ、かわいげを女子という単語が表現してくれていると感じるからではないか。まだ若く未熟ながらも日々をワクワクと過ごしていた学生時代に与えられていた、「女子」というカテゴリーに再度入ることで、現役感や浮遊感を感じ、テンションが上がるのかもしれない。