「婦人公論」のテーマを無視して、独自すぎる人間関係の断捨離を語る江原啓之
「さらにいけないのは、『あの人とは相性が悪いから』のひと言で逃げてしまうこと。自分は悪くない、でも相手のせいにもしたくない。そこで『相性』という漠然とした言い訳を用意して、自分は『いい人』でいようとするのでしょう」と息巻く江原氏。いやいやいや、今号の特集のキモは「無駄な軋轢を生まずに、人間関係をすっきりさせる」ですから、「あの人とは相性が悪いから」ぐらい収まりのいい、誰も傷つけない考え方はないのではないですか? それを「『相性』で片づけるのは、怠け者の考え方なのです」とバッサリ。その理由も「料理に置き替えたら、『私はキャベツと相性が悪い』なんて言うでしょうか」と独自すぎて意味がよくわからない……。
今号のテーマにあるのは「人間関係のいざこざは深く考えれば考えるほどドツボにハマるから、断捨離のようにポンポン捨てちゃおうぜ」という話なはずが、この対談を読んでいると「ああ、うまくつきあえない私がイケナイんだ……」と、ますます落ち込みそうです。自律を重んじる江原さんですが、目下の悩みはお歳暮お中元問題だそうで「贈りたい気持ちのベースには相手への感謝があるのだけど、モノさえ贈ればいいのか? という葛藤もあるし……」と、悶々してるご様子。とりあえず美輪さまにだけ贈っておけばいいんじゃないですかね、スピリチュアル的にも。
■70オーバー女たちのザラついた無常観
断捨離な2人が言いたかったのは、要約するに「交際術より『自分の軸』を持とう」ということのようです。自分自身をしっかり持っていれば、人からどう思われようと構わない。確かにその通りなんですけど、その「軸」を作り上げているものが“他人の目”だったりするんですよね。承認欲求と自己顕示欲の狭間でハァハァしながら生きるのが現代人ではないでしようか……。
その点から考えると、すがすがしいまでに自分本位なのが曽野綾子氏の「人生後半に必要なのは、立ち止まり、諦めること」。先述の「出産したら……」発言を裏付けるような独自の人つきあい論を語っておいでです。そもそも曽野氏は「人間関係がうまく作れそうにないと思ったから作家になったようなもの」なのだそう。お礼状を書いたりお祝いの電話をしたりするのも「ほんとはすぐしたいんですけど、体力がついていかない」からやらない。やれないものは仕方ない。それで嫌われても仕方ない。このインタビューにはいくつもの「仕方ない」が出てきます。あとは「諦める」も。「人から理解されたい、わかってもらいたいというのは最初から無理なことだと思います」と、ああナルホドなご発言も。
曽野氏の言葉で思い出したのが、以前インタビューで「(本音発言でブログなどが炎上することに関して)自分の意見に人も同調してくれると思うほうがおかしい。意見なんてみんな違って当たり前」という趣旨のことを話していたデヴィ夫人。2人とも極端な意見ではありますが、変に他人に同調を求めない潔さは目からウロコでもあります。個人的には「自分の軸さえあれば、人からどう見られようが気にはならない」という精神論よりも、「自分の意見がすべての人に共感してもらえると思うほうがおこがましい」という前提の方が「人づきあいの断捨離」にはしっくりくるような気がしました。要するに曽野氏が「出産したらお辞めなさい」と言っても、誰も賛同しなければ、それは水のようにサラサラ~っと流れて消えていくだけ発言。それに目くじらを立て、自分の正義を他人に振りかざして「かくあるべし」と断罪する方がよっぽどコワイですよね。
しかしながら、なんだかんだ言いつつ、あの手この手で人つきあいをドライブするのがリアルな女たち。詳しくは「ルポ PTAから料理教室、職場まで 大人のいじめを断ち切った主婦たちの“悪縁切り札”」「読者体験手記 お仲間を牛耳るあの人に疲れ果てて」をご覧ください。もっともらしい言説よりも力強い生命力。現実の女たちは、パートの牢名主と戦い、マンション管理組合で揉め、PTAでメンチ切り合い、イケメンシェフをめぐり料理教室でバトルするんです。そこにあるのはただ1つ「私は悪くない」という強い思い込み……いや信念。「人づきあいの断捨離」の裏には、イヤ~な人間関係を敢えて捨てずに熟成させる楽しみがあるのだと気づかされたのでした。
(西澤千央)