堺雅人、「極貧でタンポポ食べてた」早稲田時代のリアル“倍返し”人生
大ヒットを飛ばしているTBS系ドラマ『半沢直樹』。監督がインタビューで「想定外」と語るほど高視聴率を弾きだしているが、その人気の理由の一因は主演・堺雅人の好演にあるだろう。
2011年と12年に日本アカデミー賞優秀主演男優賞を2年連続で獲得し、今年の3月には女優・菅野美穂と結婚するなど、公私にわたって順風満帆な堺。だが、役者人生は最初から順調だったわけではない。堺の役者人生は、逆境を跳ね返した“倍返し”の道のりだった。
1973年に宮崎県に生まれた堺。小学生の頃から勉強が得意で、中学も高校も地元の名門校へ進んだ。高校では演劇部に入り、演技の世界に触れ、大学も演劇が盛んな早稲田大学へと進学。
「堺が入ったのは第一文学部です。彼は中国語の語学クラスだったんですが、そこでの入学時の自己紹介はビックリするぐらい、なまってましたね(笑)」(当時の同級生)
中学でも高校でも人気者だったという堺だが、これは大学でも同様だった。
「なまりが強い地方出身者はコンプレックスを抱きがちですが、堺はそんなことがなく、よくしゃべってました。明るく人を笑わせるのが得意だから、男からも女からも好かれてましたよ」(同)
堺は大学で、現在では人気劇団の東京オレンジを結成。同劇団では「早稲田のプリンス」と呼ばれ、当時の友人にはこんなモテモテぶりを見せつけたという。
「授業にほとんど出てなかった彼に頼まれて、テスト前にノートを貸したことがあったんですけど、待ち合わせ場所にたくさんの女子と一緒に現れたから驚きました。てっきりノートのお礼に女子を紹介してくれるのかと思ったんですけど、彼はそのまま女子たちと楽しそうに話しながら行ってしまいました(笑)」(当時の友人)
学業よりも演劇を優先していた堺は、3年生の春に大学を中退する。家族に一切相談しなかったため、実家とは絶縁状態に。仕送りも打ち切られ、極貧生活に突入したという。
「貧乏な役者なんて珍しくありませんが、彼は道端のタンポポを食べたことまであったそうですから、すさまじいものがあります」(テレビ局関係者)
その後、料理番組『海ごはん山ごはん』やアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(いずれもフジテレビ系)などに出演するが、なかなか芽は出なかった。
「役者として食えるようになったのは、00年のNHKの朝の連続テレビ小説『オードリー』に出てから。このドラマを実家のご両親が見たことで、絶縁が解けたそうです」(前出・テレビ局関係者)
そして、04年のNHK大河ドラマ『新選組!』の山南敬助役でお茶の間的にも大ブレイクを果たし、以降、映画『南極料理人』『鍵泥棒のメソッド』など話題作に多数出演、役者としてのポジションを確立する。
一方、プライベート面では、宮崎あおい、新垣結衣、多部未華子らとウワサになり、“共演者キラー”と呼ばれることはあったものの、5年交際して結婚直前まで行った富田靖子と破局するなど、決して恵まれているとは言えなかった。しかし、12年の映画『大奥』での共演をきっかけに、菅野美穂と電撃婚。
「堺の猛アタックが実を結びました。結婚後は、双方、家族ぐるみで付き合っていて、夫婦関係はすこぶる円満だそうです」(芸能プロ関係者)
役者としても男としても、見事に“倍返し”を果たす……堺雅人の人生が半沢直樹と重なるようだ。