Twitter発「BL短歌」、萌えを詠む腐女子が語る「ルールに縛られない関係性」の快感
――腐女子の二次創作といえば、マンガや小説が定番だと思うんですが、なぜ短歌だったのでしょうか?
佐木 マンガや小説のように、起承転結のあるストーリーで読者の理解を導くんじゃなくて、伝えたいBLの世界観やBLへの情熱を五七五七七という短い形で、パンッと提示できるから気持ちいいんですよ。作中に状況設定を多く盛り込めないから、あとは受け手が脳内補完していくんですが、そういった妄想に訴えかけるところも、腐女子向きなんです。さらに、Twitterにアップしやすい短歌は、自分の妄想をシェアしたい欲のある腐女子に、非常にマッチしています。
――なるほど。佐木さんは男性目線のBL短歌を詠んでいますが、それによって、憧れている男性同士の強い連帯感、ルールに縛られない関係性に自らも仲間入りできるという快感を得ているのでしょうか?
佐木 確かにそうですね。BL短歌に詠む男性は、自分とはまったく違う人物ではなく、その半分は自分自身だと思っています。自分が受けになった場合、攻めになった場合、それぞれの視点からその関係性に萌えていますし、プラス、2人がイチャイチャしているところを俯瞰で見て萌えるということもあります。1粒で3度美味しい(笑)。
腐女子に限らず、女性は生理や妊娠によって、「自分の体なのに自分の思い通りにならない」つまり、「自分の体なのに、まるで他人の体みたい」という経験を男性よりもしているから、逆に他者になりきることができやすい。BL短歌は、制限のない世界で、自分が何者にでもなれる快感を得られるのではないでしょうか。
――そういった快感以外に、BL短歌によって得られるものはありますか?
佐木 女性が性的な欲望を持っていること自体、憚られる風潮がありますが、腐女子が自らの欲望を解放することにも、BL短歌は有効だと思います。短歌の文化史として、近代から現代にかけて「短歌の詠み手=短歌の主体(我)とは限らない」という1つの考えが生まれました。例えば、詠み手自身は男の人なのに、少女の視点で短歌を詠んだり……というのは、よくあることなんです。これってつまり、腐女子が男性視点で同性愛を描くBLそのもの。そう考えると、BL短歌は、普段女性が大きな声では言えないような自分の欲望や願望をしのばせやすく、詠むことで心が癒やされるものなのかもしれません。
(取材・文/城リユア)