「アラフォーはステキ」というメッセージに隠された、「DRESS」の強烈な男目線
最近、アラフォーである筆者に歳周りの近い人たちから、「40にもなって」とか「もう40だから」といった意見を立て続けに聞きました。私のように結婚もしていなければ会社勤めをするでもなく、フリーランスで仕事をしていると、例えば子どもを養育することとか、部下を持つこととかといった、社会において「ある年齢以上の人たちが求められる責任」というのがありません。確かに、年齢発言をした人たちは皆、子どもがいる人たちでした。これからの若い世代を身近に見つめることが、自分の年齢、ひいては自分のリミットを知ることにつながるのかもしれません。
もちろん自分の身体の変化や老いについては考えるけれど、正直言って自分の年齢って、自分にとっては単なる記号でしかありません。しかし恋愛を楽しみ、ばりばりと働く「DRESS」(幻冬舎)な女たちは、どれだけ自分の年齢を意識しているものなのでしょうか。
<トピック>
◎MEET UP!「DRESSな女」って?
◎「タイミング」というなんとなくの理由
◎明日咲くための言葉の花束
■「個人」「自由」は連呼されるととても窮屈
今号は、小島慶子×米倉涼子(「個」と「個」の出合いから、新しい生き方が生まれます)、安藤美冬×納沢香保子(今、どう働くかより、この先、どう人生をデザインしたいか)、大草直子×hitomi(いろいろな経験や失敗も、スタイリングには重要)、中西モナ×甘粕りり子 (結婚も嫉妬も大人の恋愛はすべて自己責任)というラインナップで対談が行われています。主に、既婚×未婚という組み合わせ。この大特集の何がすごいかって、10ページにわたる大特集なのですが、その1ページ目にして小島慶子さんが「結婚していようと、していまいと自立には関係ない。そこで区別することにどんな意味があるんだろう?」と、話の結論をいきなり言っちゃってることです。2人の対談は、最後に「自分の個性のままに生きましょう」と、同じことを言って締めくくっています。
そして後に続く対談も、「どんな選択をしようと、個人が幸せならいいじゃないか」という「自分らしさ」論が繰り返し展開されます。私、「DRESS」を読んでいてすごく思うんですが、声高に「自由」や「個性」を強調しないといけないほど、アラフォー女性は20年も大人やってて「自分」を持っていないものなのでしょうか。世間的には成功しているキャリアウーマンたちなのに? それとも、本誌に登場しているのはそういう女性だけれども、対象読者は違うのでしょうか?