コカインの売人から大成したジェイ・Z、政治家になれない致命的な過去とは?
その後、パフ・ダディ(ショーン・コムズ)と一緒にツアーを行ったものの、控え室がしょぼいことに腹を立て、途中で決裂。だが、そのツアーでジェイは運命的な曲に出会うことになる。ショーがスタートする前に流れていた、ブロードウェイミュージカル『アニー』の「it’s a hard knock life」だ。この曲を気に入ったデイモンとジェイは、ライムを乗せて売り出せるように手続きをし、「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」(98)をリリース。この曲で、グラミー賞を獲得し、海外でも知名度を上げた。この曲を収録した、サードアルバム『Vol.2…Hard Knock Life』の「Can I Get A…」「Money Ain’t a Thang」も爆発的なヒットとなり、5週連続してビルボード・アルバム部門のナンバーワンに輝いた。アルバムは500万枚以上売れ、MTVなどの賞も獲得。「ラップがハードコアすぎるから無謀だ。失敗する」と言われたツアーも決行し、大成功を収めた。こうして、ジェイのロッカフェラ帝国を築き上げたのである。
『Vol. 3…Life and Times of S. Carter』(99)、『The Dynasty: Roc La Familia』(2000)と、毎年のようにアルバムをリリースしたジェイだが、03年、8枚目のアルバム『The Black Album』を最後にラッパーをリタイアし、デフ・ジャム・レコードのCEOになると宣言。デフ・ジャムでは、リアーナを発掘し、スターに育て上げた。そして、06年にカムバックを宣言し、アルバム『Kingdom Come』をリリースしたジェイは、07年にデフ・ジャムのCEOを退任。以来、ラッパーだけでなくプロデューサーとして活躍するようになり、ヒップホップ界のキングと呼ばれるようになった。
[成功への道]
ラッパー・プロデューサーとして成功を収めたジェイ。「ロッカウェア」というクロージングラインや、スポーツバーを立ち上げたり、NBA「ブルックリン・ネッツ」の共同オーナーに名を連ねたり(現在は権利を放出)、スポーツマネジメント会社を設立したりと、実業家としても大成功を収めている。08年には世界の歌姫・ビヨンセと極秘挙式を挙げ、昨年の世帯年収は、なんと7,800万ドル(約78億円)。大手経済誌「フォーブス」から、「世界で最も稼ぐカップル」に認定された。
常に大きなヴィジョンを持ち、現実としてそれらを手に入れたジェイは、オバマ大統領のことを「黒人の子どもたちに夢を与える存在」だと絶賛。昨年9月にも、ビヨンセと共に「オバマ大統領の資金パーティ」を主催し、400万ドル(約4億円)を集めて大統領との絆をさらに深めた。イギリスで受けたインタビューでも、政治について熱く語っており、政治家に転向する日も遠くはないとも囁かれている。
しかし、ジェイにはかなり深刻な犯罪歴がある。12歳の時に、薬物依存症だった兄が指輪を盗んだとして、兄の肩を撃ったのだ。兄は自分が悪いと反省し裁判沙汰にすることはなかったが、アメリカでは銃犯罪が大きな社会問題となっているため、政治家になるには致命的な過去である。
また、99年12月にライバルであるレコード・プロデューサー、ランス・リヴェラの腹部と肩を刃渡り12cmのナイフで刺して、逃走。翌日には出頭し、無罪を主張したが、逮捕・起訴された。リヴェラに、50万~100万ドル(5,000万円~1億円)ともいわれる和解金を支払ったために禁錮刑は免れたが、3年の保護観察処分を受けてしまっている。
10年にリリースした自叙伝『Decoded』でドラッグディーラーだった過去について綴ったり、外交上の問題から本来ならば行けないキューバにビヨンセと訪れるなど、決してクリーンとはいえない行動を取っているため、今後、政治活動をスムーズに行うことができるかどうかは、厳しいところである。
本人も政治家になる気はさらさらないのかもしれないが、貧困層の子どもたちに、あきらめずにがむしゃらに頑張り続けていれば、夢がかなうと伝え続けているジェイ。まだ43歳の彼が、次にどんなことをするのか、世間の期待と注目が集まっている。