知的障がいの義娘を食べるために殺害した継母、「群馬連れ子殺人・人肉食事件」
■知的障がいを持つ義娘への憎しみ
ハツは荷馬車引きの父、父と内縁関係にあった母の間に私生児として生まれ、群馬県の山村部である北甘楽郡で育った。小学校6年を卒業したが、<生来低能で学業を嫌い>(『群馬県重要犯罪史』より)、昭和10年に22歳で最初の結婚をする。だが夫は婿だったため、ハツの父親との折り合いが悪く、一女をもうけたものの昭和12年には離婚している。
当時は女手ひとつで子どもを育てるのは困難な時代である。離婚の翌年には生まれたばかりの長女を連れ、20歳以上も年上の天川藤吉の後妻となった。この時、藤吉には長女(再婚時15)、次女トラ(10)、さらに7歳の双子計4人の子どもがいた。お互い連れ子が存在したためか、再婚といっても正式なものではなかったが、藤吉とハツの間には2人の男児が誕生した。
しかし、藤吉は日雇い稼ぎで<低能且つ惰情であって、食料に窮せなければ働かない>(同)男だった。当然一家の生活は極貧を極めた。ハツは実子だけは家に残し、藤吉の連れ子たちを幼い頃より女工、子守など奉公に出した。だが次女のトラだけは奉公に出していない。トラは幼少時期に<脳膜炎を患ってから、白痴となり何の用をも弁せず徒食>という状態だった。そんな義娘をハツは常日頃から憎み、虐待したという。
敗戦の色濃くなった昭和20年3月26日、いよいよ一家の食糧事情は逼迫していく。ハツは配給された食糧を無計画に消費した。夫も怠惰で働かない。この日、天川家には一粒の米も麦もなかった。時折、米などを貸してくれていた近隣からも前日には「これきりだよ」と通達されていた。前夜の味噌汁の残りも藤吉が食べてしまった。しかしこの日の朝、実子の長女、藤吉との間の2児は空腹に耐えかねて食事を激しく欲した。ハツも空腹なのは違いない。イライラが高じていくハツの目に、栄養不足のためこたつで動けなくなくなったトラが映った。日頃の鬱憤も錯綜した。
「いっそ、トラを殺して子どもたちに食べさせるしかない」
ハツは3人の実子を外に出し、トラを無理やり立たせて両手で後頭部を押し付けた。20分もの間必死で絞め続けた。抵抗する気力も体力もなかったトラは窒息死した。ハツはトラが死ぬやいなや、すぐに行動を始めた。トラの遺体をこたつそばの布団に横たえ、家にあった鋸と包丁で頭と手足を切り落とした。内臓は取り出し、胴体を2つに切った。それをぶつ切りにして大鍋で煮込む。良い香りが漂っていたという。
その後ハツは子どもたちを家に呼び寄せた。鍋を見せ「山羊の肉だよ」といって子どもたちにトラの人肉を食べさせたのだ。ハツ自身もちろんそれを食べた。夜に帰宅した藤吉にもそれを「山羊の肉」と言って食べさせた。トラの人肉は3日間をかけ一家の胃に収まっていった。食べられなかった頭部などは、家族が寝静まった深夜にハツがひとり庭に埋めたという。
(後編につづく)