『ママレード・ボーイ』が面倒くさい恋に悩む20~30代たちに、今一度教えてくれるコト
『ママレード・ボーイ』では、いったん光希と遊は両思いになり、しかも同じ屋根の下に暮らしているわけですから、ほかから変な横やりが入っても、とりあえずは安定した関係になります。ところが、「もしかしたら自分と光希は同じ父親を持つ(母親は別の)兄妹かもしれない……」と思った遊が、光希に自ら別れを告げ、京都の大学に進学してしまいます。
あきらめきれない光希は、京都にまで遊を追いかけます。そこで、自分たちが血のつながった兄妹であることを告げられますが、そこで2人は、「もし兄妹であっても、愛をつらぬこう」と誓うのです。この時の光希には、もう迷いはありません。
『ママレード・ボーイ』の次の作品である『君しかいらない』でもやはり、秀才で気立てのよい十時集と、前の彼氏(というか離婚した浮気性の前夫)である橘川との間で気持ちが揺れるヒロイン・栗原朱音が描かれています。迷った挙げ句、橘川とやり直そうとする朱音。しかし最後の最後で悟るのです。自分が好きなのは、十時君だ……と。その時、朱音は十時にこう言います。
「ごめん今さら もう遅い…? 好きじゃなくなった?
でも十時くん 追いかけてきてくれたから…」
「都合よすぎるわ!」という突っ込みを入れながらも、読者である私たちは朱音を迎え入れざる得ません。だって十時君の返事は「好きだよ! 今だってこれからだって ずっと好きだ」なんですもの。遅くないよ。いつだって、恋は遅くないのです。回り道をしたけれど、それは無駄じゃない。迷っていいんです。そんな思いで、私たちの胸を熱くしてしてくれるのが、吉住作品なのではないでしょうか。
「なんでもアリ」の少女マンガにおいてさえ、一瞬「無理があるんじゃ……」と思ってしまう『ママレード・ボーイ』。しかし、そんな設定なんてどうでもいいと思えるのは、光希のぐだぐだぶりが、リアルに今の私たちの胸に迫ってくるからとも言えます。もともとアダルトな雰囲気を漂わせる吉住作品ですが、未央や光希、朱音たちは、リアルタイムの読者だった20代、30代の女性がまさに今直面する「面倒くさい恋」に悩んでいるようにも映るのです。
「見込みのない恋は捨てるべき?」「私のこと好きって言ってくれる人との方が幸せになれるかも?」「でも昔のダメ男が忘れられない……」そんな葛藤を抱える今の私たちが心を動かされるのは、このヒロインのぐだぐだぶりなのではないかと思います。フラフラしちゃうこともある。でもその分、回り道から戻ってきた時、そこからはもう迷わない! という気持ちを、今もう一度確認できるのが、吉住渉作品なのです。
大串尚代(おおぐし・ひさよ)
1971年生まれ。慶應義塾大学文学部准教授。専門はアメリカ文学。ポール・ボウルズ、リディア・マリア・チャイルドらを中心に、ジェンダーやセクシュアリティの問題に取り組む。現在は、19世紀アメリカ女性作家の宗教的な思想系譜を研究中。また、「永遠性」「関係性」をキーワードに、70年代以降の日本の少女マンガ研究も行う。