慶應義塾大学・ヒサヨ先生の「あの頃の少女たちへ」第7回

『ママレード・ボーイ』が面倒くさい恋に悩む20~30代たちに、今一度教えてくれるコト

2013/05/02 16:00

 すると、その疑問を解くであろうヒントが、吉住作品の共通点として浮かび上がってきました。もしかしたら、当時リアルタイムで作品を読まれていた皆さんもお気づきのことだったかもしれませんが、吉住作品では、たいていヒロインが、恋愛に“ぶれまくって”いるのです。

 少女マンガ的に「この人とくっつくであろうな~」と思われる男の子が目の前にいるにもかかわらず(そしてその男の子も少なからずヒロインに好意的と思われる行動を取っているにもかかわらず)、ヒロインはほかの男の子にも心を惹かれ、「選べないよ~!」とか「本当はどっちが好きかわからない……」といった優柔不断さを発揮します。

 『ママレード・ボーイ』でも、以前好きだったけれど、クラスメートの前でフラれてしまった銀太と、一緒に暮らしている遊との間で光希の心は揺れ動きます。

「だって 2人とも全然違うタイプで 全然違う魅力があって――どっちも大切 どっちも大好きなんだもの それが正直な気持ちだもの それを責められたって あたし どうしようもないよ…」

 「なにを言ってるの!? なんで迷うの!? どっちかにしなさいよ!」と、思わずヒロイン・光希に向かって声にならない突っ込みを入れてしまう時、私たちはすっかりヒロインの迷いにハラハラさせられ、うっかりそもそもの強引な設定のことを忘れてしまうのです。


 同じようなことは、名作『ハンサムな彼女』にもいえるでしょう。中学生で売り出し中の女優・萩原未央を主人公に、監督・撮影・編集そのほかも中学生のスタッフだけで映画を制作するという設定。監督を務める熊谷一哉が、名監督と名女優の息子という設定はアリだとして、やっぱりどう考えても、中学生だけで商業映画を撮影するってのは無理がある。私もそんな疑問を抱きながら連載を読み始めたのですが、未央は一哉が気になりながらも、ふらふらと一哉以外の男の子(しかも一哉の親友)と付き合ったり、やっぱり違ったと思って別れたり、どんどんぶれまくります。せっかく一哉と両思いになったと思っても、一哉がアメリカに撮影に行っている間に、一哉によく似た顔の男の子に心が揺らいだりしてしまうのです! そんなヒロインに喝を入れている時、すでに私たちは吉住作品の虜になっているのではないでしょうか。

 しかし、このヒロインのぐだぐださは、最終的には「思いの強さ」へとつながっていきます。回り道をしたけれども、いや回り道をしたからこそ、「やっぱりあの人が好き!」という思いが、読者にも強く印象づけられるのです。

『ママレード・ボーイ(1)』