ミステリーと日常の描き方に違和感が残る『お天気お姉さん』
今期の連続ドラマが出揃ったが、相変わらずミステリードラマが多い。ミステリードラマの強みは1話完結で、物語のフォーマットが決まっていることだ。90年代ならいざしらず、インターネットと携帯電話が普及して、競合するコンテンツやコミュニケーションツールが多様化している現在において、1週間に(約)1時間のドラマを1話ずつ放送するという形態は、視聴者にとって年々敷居が高くなっている。1週間もたてば先週のあらすじを覚えていない人も多く、1話でも見逃せば次から見なくてもいいや、という視聴者も多い。
そんな中でコンスタントに視聴率を獲得しているのが、1話完結のミステリードラマか、1話15分を月~土曜日にかけて連続で放送する朝の連続テレビ小説のみというのは当然のことだ。
この傾向が定着したのは、『トリック』(テレビ朝日系)以降だろう。演出家の堤幸彦と脚本家の蒔田光治が、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)によって作り上げ、より探偵役のキャラクターを見せることに特化した『トリック』の成功以降、各局はミステリードラマを制作するようになっている。そんな『トリック』を生み出した金曜ナイトドラマ枠の新作が『お天気お姉さん』である。
物語は黒マントを羽織った謎の気象予報士・阿倍晴子(武井咲)が、気象や天候にまつわる知識を総動員し、警察の捜査に協力して凶悪犯罪を解決するミステリードラマ。この時点でかなり無茶な設定に感じるが、そこはあえて突っ込まないでおこう。物語は晴子がお天気キャスターとして気象予報を行うテレビ局パートと、警察の捜査に協力するミステリーパートに分かれている。しかし、この2つの要素がうまく絡んでいないので、悪い意味で2本のドラマを見ているかのようなチグハグさが残る。
武井咲の使い方としては悪くはない。剛力彩芽が演じた『ビブリア古書堂の事件手帖』(フジテレビ系)の篠川栞子と同様、感情の起伏がない無機質な少女という『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)の綾波レイ以降、アニメでは散々使われてきたヒロイン像は、造形が整っている女優を生かす役柄としては、適切な方法論だと言える。
しかし、晴子の日常パートにあたるテレビ局の場面において、佐々木希たち女子アナやテレビ局社員との関係がほとんど描かれていないので、足場が固まっていない不安定な印象を受ける。逆に事件を追う刑事たちや佐々木蔵之介が演じる監察医の描写は無駄に多く、どうも本来ドラマが描くべき要素のペース配分がおかしい状態が、1話から続いている。
ちなみに『お天気お姉さん』というタイトルから、90年代に安達哲が「ヤングマガジン」(講談社)で連載していた同名漫画作品を連想された方もいるかもしれないが、もちろん無関係だ。
脚本は、下世話な通俗性を徹底することで生まれるドライブ感を駆使して、女の欲望を描き続けている大石静。『ふたりっ子』『オードリー』と二度も朝ドラを執筆しているベテラン脚本家で、『セカンドバージン』(NHK)以降は、女の性的欲望を突き詰めることで、1作ごとに作家性が極まっていたのだが、美容整形や同性愛を扱った前作『クレオパトラな女たち』(日本テレビ系)は、残念ながら打ち切りとなっている。
それだけに、次回作の動向が気になっていたのだが、少なくとも『お天気お姉さん』には、今までのようなドライブ感も作家性も感じられず、かといって新境地と言える程の斬新さもない。安倍晴子の下宿先のスナック「蜜の味」のママが壇蜜であることが、このドラマが、どういう作品なのかをすべて物語っている。よくも悪くも、いつものテレ朝深夜の作品だ。
しかし大石が書くからには、このまま終わるとは思えない。最終的な評価はテレビ局パートとミステリーパートをいかに融合できるか次第だろう。その意味でも、このドラマを大石静が書いていること自体が、本作最大のミステリーだ。