異物である女への噂によって、悪意が肥大化した人々を描く『噂の女』
「あれはやりまくっとる顔やね」「セックス好きそうやな」「キャバクラでバイトしとったし」「弟はやくざ者やし」「あの子、勤めとる会社社長の愛人や」「若社長、溺死したんやと」「今度は六十過ぎの資産家と婚約やよ」「内緒やけど、どうも県会議員の愛人らしい」「クラブのママで政治家の愛人かあ」「毒でも盛ったんやないの、ってみんなが言っとる」「あの女、男をたぶらかしては、金を貢がせて、贅沢な暮らししとるらしい」
小さな街で、噂の的になる女・糸井美幸。美人とは言えないが、色白のモチ肌、大きいオッパイとかわいらしい声を持ち、料理上手で男あしらいもうまい。しかし、彼女の過去には不審死を遂げた3人の男と、億単位で受け取っている保険金が見え隠れする。愛人だった社長は2人続けて死に、年の差婚した資産家の夫も美幸の出産直後に溺死、その保険金で高級クラブのママになり、政治家の愛人として夜の街で名をはせている――。
10人の男女が次々と語り手となる短編連作の形をとった『噂の女』(奥田英朗、新潮社)は、まるで実際の事件を思い起こさせるようなキーワードをちりばめつつ、作品の主題は美幸の人間像や心理ではない。派手な美幸の周りで普通に生きる人々と、延々と無責任に交わされ大きくなっていく噂そのものだ。
舞台は「出身校と名前と年齢がわかれば、大体の経歴が把握できる」地方都市。雀荘、料理教室、パチンコ店、クラブ……どこかで、今日も名も無い普通の人による、普通の人のための悪事が計画されている。方言混じりで、テンポよく小気味よい会話を繰り出しながら悪事を練る語り手たちは、完全な悪者ではない。むしろ、会社の上司との関係や家庭の和を崩したくない気弱さや優しさが災いして、どこか割を食ってしまうような人々でもある。
公私の区別が曖昧で、仲間や身内で小金を山分けすることが悪事とは映りにくい地方都市。公務員は知人に謝礼をもらって公団住宅の便宜を図り、警官は上司の昇進祝い金を市民から巻き上げる。カルチャースクールに通う主婦も、中小企業に勤める若者も、大人であれば、そこかしこで目にする癒着を容認することに慣れきっている。そこにあるのは、人間関係が狭く濃密過ぎて、正義を貫いたところで誰も得をしない、極めて現実的な社会だ。しかも、一度でも自らが甘い汁をすする側に入れば、可能な限りその利権は守り続けたくなる。そして、底なし沼のような地方都市のしがらみに絡めとられた1人となり、そこから抜け出せないジレンマを抱えてしまう。
そんな語り手たちの前に現れ、時に深く関わり合う“噂の女”糸井美幸。「自分の人生はこんなものか」とあきらめている語り手たちとは対照的に、彼女は自分の欲望に折り合いを付けない。車もファッションも住居も、テレビで見るような“勝ち組”の富を得るべく立ち回る美幸の姿は、地方で生きる人にとっては明らかに異物であり、格好の噂の対象になる。
どんな噂話にも、誰かの小さな愛憎が乗っかっている。無意識でも意識的にでも、語る人々の悪意、もしくは好意が噂で補強され、人を介するたびほかの人の感情が上塗りされていく。
濃密な人間関係としがらみにハマってしまった登場人物たちの小さなストレスは、美幸という手近な「異物」への悪意や嫉妬、時に性欲や憧れに転化され、噂になって広がっていく。誰かの悪意から生まれた噂が、さらなる悪意と臆測を補完して、次の噂を生む。噂を立てる人にとっては、その真偽なんて実はどうでもいい。肥大した噂を仲間内で面白おかしく語ることで、悪意で歪んだ世界観を共有し、小さなコミュニティーの結束をさらに固めていくのだ。
一方で、周りに巻き込まれ、半ば致し方なく悪事に関わっていくような語り手たちとは異なり、美幸は積極的に一人で悪事を犯す。悪意を持って見られることも、世間のしがらみも、彼女にとっては「使える道具」にすぎない。まともな方法で得られない富なら、悪どい方法で手に入れる。自分をあきらめることを知らない彼女の正直さが、諦観と行き詰まりに満ちた本作の中では、善悪の基準を超えて、すがすがしく爽快なものに見えてしまう。
「平凡な結婚して、子供を二人産んで、小さな建売住宅を買って、家事と育児とローンに追われて、田舎の女はそういう人生の船にしか乗れんやん。でも糸井さんは、女の細腕で自分の船を漕ぎ出し、大海原を航行しとる」
結婚して子どもを育てている美幸の学生時代の同級生が、思わず口に出した美幸への言葉は、殺人も犯した(かもしれない)女に向ける言葉にしては、褒められたものではない。しかしそこには、地方で王道の通行手形である“普通の生き方”を選んだ女の、普通の枠に収められなかった思いが詰まっている。彼女たちは、普通を手に入れるために、自分が何かをあきらめたことを知っている。諦観を自覚しているからこそ、“あきらめなかった自分”かもしれない美幸の姿を痛快に感じ、つい架空の自分を託している。“普通の人々”の中には、いつも“噂の女”が静かに息づいているのだ。
(保田夏子)