ブックレビュー

友情の頂点と終焉、どちらもが一瞬のきらめきを持つ『奇貨』

2012/11/18 16:00
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『奇貨』(松浦理英子、新潮社刊)

 『奇貨』(松浦理英子、新潮社刊)は、いい大人になったからこそコントロールするのが難しい、“友情”をめぐる小説だ。

 私小説作家・本田は、普通の男と同じように女が好きだが、性格もセックスも受け身を良しとする性質が災いして、生来まともに恋愛が続かない。それでも、同性といるよりは女性といる方が気楽で、「女同士のように女と友達付き合いをしたい」という傍から理解されにくい願望を持っている45歳。

 そんな本田にとっての数少ない友人の1人が、ルームメイトでもある、10歳年下のレズビアン、七島。鋭い観察眼や正直な物言いのせいか、こちらも長い間、決まった恋人ができないままだ。

 偏屈な上、性的嗜好も少数派。生涯のパートナーと出会う気配もない。そんな2人だが、お互いを貴重な友人として認め合い、3年に及ぶ同居もうまくいっていた。しかし、七島に新たなレズビアンの友達“ヒサちゃん”ができることで、本田と七島の友情の蜜月が崩れはじめる――。

 『奇貨』は中篇だが、その中には「本田と七島」「七島とヒサちゃん」「本田と学生時代の男友達」と、友情ストーリーがいくつも詰め込まれている。

 共通して描かれるのは、作中で七島が語る「意気投合して友達になって、これからもっとよく知り合っていこうとしてる時の、わくわくする感じ」「無性に会って話したいって思って、性欲も接触欲もないけど、ほとんど友達に対して萌えてるみたいになる」というような、友人と出会ってから親密になっていく時のある種のときめきだ。それは、仕事や家庭や恋愛を優先しがちな多くの大人にとって、もう何度も味わえないものであり、眩しく貴重なものに映る。


 しかし一方で、親密であればあるほど、その友愛関係を維持するのは難しい。片方が不要だと思えば、恋愛のようにはっきりと終わりを告げられるわけでもなく、さりげなく、そして一方的に緩やかに、“大勢の友達”にスライドされるのだ。

 本田は、七島にヒサちゃんという女友達が現れたことで、自分が七島から以前ほど必要とされなくなったことに気づく。ありのままの自分にダメ出しをされたようなみじめさ。裏切られたような理不尽な感情。それは、元々深い人間関係を築いてこなかった本田を、大きく動揺させるものだった。

 七島への嫉妬に耐え切れなくなった彼が起こした行動は、「女友達同士の親しい会話に入り込む」という願望をかなえること。七島とヒサちゃんの電話での会話を聞くために、耳をそばだて、ドアにコップをつけ、揚げ句には盗聴行為に及んでしまう。

 「作家の告白私小説」という形式で書かれる本作は、本田が自分の動揺ぶりを客観的に面白がっているような距離感があり、「盗聴」や「嫉妬」からイメージされるようなドロドロした重たさはない。むしろ、盗聴の罪悪感と開き直りが交錯する独白部分は、情けない主人公に笑いつつ同情してしまうほどだ。盗聴器を通して伝わる女2人の生々しい仲良しトークに、それを盗聴する本田の僻みツッコミと妄想が入り混じりつつ、ストーリーは加速して転がるように進んでいく。

 ただでさえ目減りしている友情関係を、盗聴という愚かな行動で、さらに収拾がつかない状態に落とし込んでいく本田。七島を上手に引き留めることもできず、友情復活の希望を捨て切ることもできない。そして、そのどんな局面でも、わずかに残っている友情を美味しくすすってしまう彼の姿は、45歳とは思えないほどみっともなく情けないが、切実で正直だ。


 そんな本田の姿を通して、友情関係が生まれることと同じくらい、その終わりを引きずり、苦しさに翻弄されることもまた、貴重な時間なのだと気づかされる。彼が最終的に噛み締めた、甘くて苦いものを呑みこむような感覚、それ自体が、大人になったからこそわかる“奇貨=人生に取っておきたい貴重なもの”なのかもしれない。
(保田夏子)

最終更新:2012/11/18 16:00
『奇貨』
友情はある種の恋愛