「ベッドで毎晩、自由にされ続けた」元ジャニーズが語る合宿所時代
この自称マネジャーに連れられて初めて事務所を訪れた時、6時間も社長室のソファーで待っていたことを、ジャニーの姉・メリーに「根性がある少年」と見なされ、採用。ちなみに芸名をつけたのもメリーだ。東京・赤坂の豊川稲荷に捨てられていたという「設定」がデビュー時に設けられ、豊川稲荷で誕生→豊川誕が誕生した。
■入所1週間でステージに上がれたワケ
こうしてジャニーズ事務所に入所した豊川だが、「辛い仕事があった」と当時を告白する。何かといえば、
夜である
たった4文字。シンプルなのに、そこからいろんな意味が汲み取れる。合宿所での最初の1週間は、自室で寝ていないという。
では、どこで寝ていたのか
ジャニーさんの部屋であった
彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ
……このくだりの細かなディテールは、さすがに控えめにはなっている。だが、「だてにゲイバーで働いていたわけじゃない」と、ちょっと醒めた感じの玄人感すら滲ませている。しかし、「辛い仕事」と明かしながら、こうも言っている。
不思議と彼を恨む気持ちはなかったのである
ジャニーには、大きな感謝と敬意を抱いているようだ。「メリーさんが怒り役のお父さん、ジャニーさんは怒られた少年たちを慰めるお母さん」という表現にも、とても親愛の情が込められている。ジャニーは母性の人なのだ。また、ジャニーは、こうも呼ばれていたという。
容姿は、どこかカッコ良さが漂うハーフそのものだったが、当時の事務所のタレントの間ではひょこひょこ歩くその姿から、「テクテクおじさん」というあだ名で呼ばれていた
全編通して、静かながら熱いトーンで書かれた本書には、「二人は恩人である。同時に、社会人の僕にとって越えなければいけない高い山なのである」といった、ジャニーとメリーへの熱い思いが何度となく綴られている。「破格の扱い」と自分でも書いているが、「夜である」のおかげなのか、入所わずか1週間でステージに上がっていたという。