女優から大麻教の教祖夫人へ、益戸育江が否定した「消費される私」
――タレント本。それは教祖というべきタレントと信者(=ファン)をつなぐ“経典”。その中にはどんな教えが書かれ、ファンは何に心酔していくのか。そこから、現代の縮図が見えてくる……。
大好きだったアイドルや憧れの女優が、芸能活動を投げ出すように辞めてしまったら、どんな気持ちになるだろうか。芸能活動をしていた過去やそれを応援していたあなたを否定するような発言をしたらどう思うだろうか。高樹沙耶改め益戸育江の著書『ホーリープラント~聖なる暮らし』(明窓出版)を読んで、そんなことを考えさせられた。
益戸(当時は高樹)は、ドラマ『相棒』(テレビ朝日系)シリーズで小料理屋の女将役を演じていた。ところが2011年、突然降板。理由は、「原発事故によりメディアに失望したから」だと本書でつづっている。今は石垣島で大麻草研究家の森山繁成氏と事実婚生活を送っているらしい。森山氏が代表を務める「大麻草検証委員会」の幹事には、益戸も名を連ねる。言い換えれば、益戸は“大麻教”の教祖夫人になったのである。
本書タイトルの『ホーリープラント』は、大麻草を指す。益戸は「大麻によって得られる感覚は、自然との共生で得る感覚と非常に似ています」と語る。さらに、「農薬が不要で収量が高い大麻は、衣類、食材、非木材紙、建材、エネルギーと利用価値が高い」と主張し、「今、人類は正気を失っていると思います。身体に蓄積された化学物質や、空気中に飛び交う電磁波、放射線。もう、末期的と言っても過言ではないでしょう。このような状態にこそ、聖なる植物が本当に必要なのだと感じています」ということを繰り返し語る。本書は、文字通り「タレント本という名の経典」。大麻教の経典である。
ここで大麻の是非について論じるつもりはない。重要なのは、大麻にのめり込むことで益戸が世間から「変わった人」「怪しい」「マッド育江に改名すればいい」と揶揄されながらも、これまでのファンとはまったく別タイプの新たなファンを獲得できたということである。“捨てる信者あれば拾う信者あり”だ。昨年末に開かれた出版パーティーは、会費(6,000円)を払えば一般人も入ることができたのだが、会場に集まったのは「高樹沙耶」信者ではなく、ほとんどが大麻信者、ナチュラル信者だった。
「麻は環境にいいし、がんも治るんですよ」と語る男性参加者は、女優時代の益戸には特に関心はなかったという。「でも、益戸さんが活動してくれることはうれしいです。大麻というと、怪しいイメージ、怖いイメージを持つ人が多いのですが、益戸さんの活動で広く関心を持ってもらえますから」と語っていた。「もともと自然が大好き。環境問題を調べていると、必ずといっていいほど麻の問題と益戸さんに行き当たるんです」と語る女性参加者。大麻研究家との同棲がスキャンダラスに報じられたことをどう思うか尋ねると、「テレビは5年前に捨ててしまいましたし、週刊誌も見ないから全然知らないんですよ」とまったく気にしていないふうだった。
益戸自身は事実婚生活を暴いたメディアを徹底批判し、また、女優としてブイブイ言わせていた狂乱のバブル時代を批判する。
「森林を伐採して作った貴重な紙に、わざわざ人を辱めるようなことやありもしないことを書き、それをゴシップ雑誌として流通させる。こんな行為は世の害悪だと思いませんか? そして、それを喜んで読む人がいる! それが恥ずかしいことということを忘れている我が国」
「私は、バブル絶頂期に20才を迎えた世代。モデル、女優という立場上、たくさんの恩恵をいただきました。小さい頃からよくテレビを見ていたこともあり、その頃は私も物質至上主義に洗脳され、完全にアメリカ的セレブ・ストーリー信者と化していました。そしてその『洗脳マシン』であるテレビの中に入る事で、『勝ち組』のチケットを手に入れたのです。しかし、この勝ち組とてピラミッドの奴隷。働けど、働けど、セレブ生活と税金とでお金は消えていく。欲望は膨らみ、膨らめば膨らむほど心はしぼみ、疲れ果ててゆく」
そんな疲れ果てた女を楽しみにしていたファンの気持ちはどうなるのだろうか。高樹沙耶は完全に消滅し、別人になった。こういうことは身近にもよくあることだ。「あいつ、変わったよな」ということ。変わってしまったあいつが、新しい世界でよろしくやってること。その様子をFacebookなどで垣間見て、寂しいようなくやしいような気持ちになること。「またこちら側に戻ってきてほしい」という淡い願いもある。しかし、一緒にいた頃や取り残された自分を否定するような言動に、「もう関わりたくない」という気持ちもある。
人は変わる。他人と共に歩み、年を重ねていくことは難しい。ファンとして好きな芸能人と添い遂げることも、パートナーとの愛情や仲間との友情を続けることも難しい。「自分に合わなければ、その都度乗り換えればいい。代わりはいくらでもいる」という考え方もあるだろう。そうして、粗悪な工業製品のようにセット売りされて使い捨てられるアイドルが登場したりする。日常生活では、誰かと別れたり、陰口を言ったり、過去を否定したり、むやみに新しい出会いを求めたりする。人を消費し、自分も消費される。
「地球から資源を搾取し、過剰に消費し、貧しい人をそれに見合う報酬もなく働かせ、彼らの食物や生活の糧を奪う。一生懸命作ってもらったものさえも、余ったらすぐにゴミ箱行き。このような生活はもう限界ですし、幸せになれるはずもありません」と警鐘を鳴らす益戸。彼女は消費社会を捨てた。と同時に自分が“消費される社会”を捨てた。著書からは「もう私は消費されない」という強い意志が見て取れる。益戸の新しい信者は、益戸が大麻を礼賛する限り、きっとどこまでも益戸について行くだろう。今、とっても幸せそうだ。
(亀井百合子)