世相とニーズを嗅ぎ取る能力に長けたアイス・キューブの半生
――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!
【今回のレジェンド】
頭のキレのよさで世相とニーズを感知した男
アイス・キューブ
[生い立ち]
アイス・キューブは、1969年6月15日、本名オシェイ・ジャクソンとして、カリフォルニア州ロサンゼルスのサウスセントラルに生まれ育った。この地区は黒人低所得階層が住む治安の悪い街として恐れられているが、両親は大学の守衛/管理人として真面目に働き、厳しい社会で生き抜くノウハウを子どもたちに教えながら大切に育てた。報道番組が好きな父親の影響で、幼い頃から政治や社会問題に興味を持っていたアイスは、頭も良く、年齢のわりには大人びたクールな子どもだったとのこと。12歳の時に、兄から“冷めた子”という意味でアイス・キューブと呼ばれ始め、この愛称が定着。現在は戸籍上もアイス・キューブに改名している。
ごく普通の少年時代を過ごしたアイスが音楽に夢中になったのは、1979年のこと。シュガー・ヒル・ギャングの『ラッパーズ・ディライト』(79)に強い衝撃を受け、寝ても覚めてもラップという生活に突入した。14歳になるとリリックを書き始めるようになり、15歳で親友ジンクスとラップ活動をスタートしたが、アイスは「リリックはクールだったけど、度肝を抜くようなモンじゃなかった。所詮15歳だったし」と回想している。
[キャリア初期]
アイスにラッパーとして本格的に活動するきっかけを与えたのは、ジンクスのいとこであるドクター・ドレーだった。ドレーは「オレと一緒に曲を作ろう」とオファーし、17歳だったアイスを、地元の有名人・イージーEに引き会わせた。麻薬売買で得た大金を元にレコード・レーベル「Ruthless Records」を立ち上げていたイージーは、アイスを気に入り、ニューヨーク出身グループのリリックを書くよう依頼。アイスはドレーと共に曲を書き上げたのだが、イメージが違ったため、イージー自身がレコーディングすることに。ラップをした経験のなかったイージーだが、甲高い独特な歌声で見事にラップし、これがストリートで大ヒット。イージーは、アイス、ドレーらと共に「N.W.A.」を結成。ハードコアラップを引っさげ、ラップ界に殴り込みをかけた。
ちなみにN.W.A.は「肝の据わった態度のニガー(Niggas With Attitude)」の略語であり、最初アイスはびっくりしたとのこと。 ドレーは笑いながら「だからN.W.A.にすんだよ。後で何の略か知って、みんなビビるだろ? 効果抜群だぜ」と笑ったそうだ。
アイスはN.W.A.の活動にのめり込むようになるが、母親からの強い進言で、18歳の時にフェニックス工業大学に進学。結局、中退してN.W.A.の活動に集中するようになるのだが、母親思いの彼は「20歳までは親元で暮らす」と宣言。実家に住みながら、「クラック(安物ドラッグ)、ギャング抗争、異人種の対立、暴力的な警察との対立」という社会問題を内包するLAギャングスタ・ラップを世に送り出した。19歳という若さで、業界の度肝を抜いたN.W.A.のファーストLP『ストレイト・アウタ・コンプト』(89)の大半を手がけたアイスは、一目置かれる存在となっていったのだった。
[バッシング・評価]
『ストレイト・アウタ・コンプト』はラジオでオンエアされなかったものの、発売から3カ月で100万枚以上売れ、プラチナムとなった。なぜなら、アルバムに収録されていた「ファック・ザ・ポリス」という曲に、FBIが目をつけたからである。この頃、FBIは「ラップが若者たちに警察を攻撃しろというメッセージを送っている」と警戒していており、N.W.A.に対しても、「ファック・ザ・ポリス」をプレイするなという警告書を送った。しかし、彼らはこれを無視。
デトロイトのライブで、同曲のイントロが流れた途端、20人ほどの警官がステージに押し寄せ拘束される騒ぎとなったが、イージーはこれを逆手に取り、「N.W.A.はFBIにマークされる“世界で最も危険なグループ”」と宣伝するように。これについてアイスは「別にどうでもって思ってるね。オレの地元じゃ、誰もが警官を警戒するのに忙しくて、FBIなんてテレビの中の人たちって感じだし。警官のように、オレたちを追い掛け回して暴力を振るったりしない限りオッケーだよ。あの警告書もジョークだと受け止めてるくらいだ」「ほかのレコード会社や弁護士とかは震え上がってたけど、オレらは売り上げを伸ばし、自分たちの名前を売る絶好のチャンスとしか思わなかったね」と余裕のコメントを出している。
88年にスタートしたMTVのラップ専門番組『YO!MTV RAPS』、同年創刊されたヒップホップ・政治・カルチャー誌の「The Source」はN.W.A.の特集を組み、彼らの存在は全米に知られるようになった。イージーは強烈なオーラを放つカリスマ的存在であったが、ラップに関しては賛否両論であり、誰もがN.W.A.を支えているのはアイスだと思っていた。しかし、アイスは89年に突然N.W.A.を脱退する。ツアーとレコードの売り上げが300万ドル(約2億7,000万円)だったのに、アイスの受け取った報酬はたった3万2,000ドル(約290万円)だったからだ。アイスは白人の敏腕マネジャーと真っ向から対立し、大いにもめた末にソロに転向した。
90年5月、アイスはファーストソロアルバム『AmeriKKKa’s Most Wanted』をリリース。「外見は黒人でも中身は腐った白人みたいなオレオ・クッキーのような野郎が増えている」など強烈なメッセージが込められたこのアルバム。「女性卑下している」「アルバムのタイトルにあるKKKは、クー・クラックス・クラン(白人至上主義団体)だ」とも言われ、大きな論議を醸したが、売り上げは上々だった。
その後、N.W.A.はドレーが軸になり制作したアルバム『100マイルズ・アンド・ランニン』(91)の「Efil4zaggin」で、アイスのことを裏切り者の代名詞である「ベネディクト・アーノルド」と呼び、これに激怒したアイスはセカンドアルバムの『Death Certificate』に収録された「No Vaseline」(91)という曲でN.W.A.を痛烈にディスる騒ぎに発展。N.W.A.はラストアルバム『Niggaz4Life』(91)でもアイスをディスり、両者はチャンスさえあれば互いのことをののしっていたが、95年にイージーがエイズで亡くなる前には和解した。
なお、『Death Certificate』には、LAの黒人社会と韓国人社会に存在する軋轢を描いた「ブラック・コリア」という曲が収録されており、これもまた大きな論議となった。スーパーなどを経営する韓国系アメリカ人店主が黒人を泥棒扱いし差別をするという怒りをぶつけたこの曲が、ロス暴動の火付け役になったという説もあるほどだ。
[成功への道]
マイクを握らせたら右に出るラッパーはいないとまで言われるアイス。しかし、彼は91年に俳優としてのキャリアもスタートさせる。デビュー作は、ジョン・シングルトンが監督した名作『ボーイズ’ン・ザ・フッド』。以来、2005年まで毎年のように映画・テレビ映画に出演するようになる。ジョンから「レコードが書けるなら映画も書ける」と言われ、その気になって脚本執筆、製作総指揮を務めた『Friday』(95)は、350万ドル(約3億1,800万円)という低予算ながらも2,800万ドル(約25億4,500万円)を超える興行収入を上げる大ヒットに。こうしてアイスはハリウッドからも一目置かれる存在となった。
2000年代に入ると、“しかめっ面”とチャラっぽい“ジェリーカール”を捨て、『バーバーショップ』シリーズや、『ボクらのママに近づくな!』など、ファミリー向けの映画をヒットさせた。『ボクらのママに近づくな!』はテレビシリーズ化され(10~12)、アイスは製作総指揮者として番組を制作。プロモーションで「オレのファンの多くは今や家族持ちとなっている。ニーズに合わせただけだ」と、にこやかに語っている。
92年に結婚した妻との間に4人の子どもをもうけ、幸せな家庭を築いているアイスは、「自分を大事にしろとしつけるのがオレ流子育て」だと発言。2人の息子、オシェイ・Jrとダレルもラッパーになり、2010年にアイスがリリースしたアルバム『I Am the West』にフィーチャリングされており、彼にとってラップは真のファミリー・ビジネスになっている。
アパレル・ブランド「Solo by Cube」も手がけるなど多才なアイスは、現代のラップ業界について、「オレがラップを始めた頃、この業界はBボーイズやヒップホッパーたちが取り仕切ってきた。でも今、仕切ってるのは大学を卒業した若造ばかりだ。ざけんなって感じだよ」「奴らは、必要な情報をすべて雑誌から得ている。あくどいことは一切やらない。もはや違う業界だぜ」と嘆いている。だが、見切りをつけたわけではなく、昨年の大統領選挙前に政治色が非常に強い新曲「Everythang’s Corrupt」を公開。同名の10thアルバムは今年春にリリースする予定となっており、まだまだラッパーとして鋭い光を放っている。
05年には、アフリカ系アメリカ人アーティストにとってグラミーに匹敵する『ソウル・トレイン・ミュージック・アワード』で、功労賞を贈られているアイス。役者としても、アカデミーなどの大きな賞には縁がないが、『MTVムービー・アワード』『ティーンチョイス・アワード』など世論を大きく反映する賞にはノミネートされており、その演技力は多くの人に認められている。
アイスは“成功の味わい方”を、こう明かしている。「授賞式から帰宅し、1人でヘネシーをコーラで割って飲む瞬間が最高だね。オレを嫌いな奴らが身をよじらせ悔しがってるのを想像すると、たまんなくなるぜ」