美女ヤンキーは女子を自意識から救う――「ママ友はいらない」宣言・木下優樹菜
――タレント本。それは教祖というべきタレントと信者(=ファン)をつなぐ“経典”。その中にはどんな教えが書かれ、ファンは何に心酔していくのか。そこから、現代の縮図が見えてくる……。
藪から棒に何だが、独身のお嬢さん方にお聞きしたい。幸せになりやすいのは、どんな女性だと思うだろうか? 女優級のゴージャス美女か、貯金たっぷりのキャリアウーマンか。身なりは質素で、家庭的な地味子さんか。
答えは、美女ヤンキーである。
美女ヤンキーの筆頭は、キムタクことSMAP・木村拓哉と結婚した工藤静香だが、人気のある男と結婚して後方支援に回るというのは、男が稼ぐのが当たり前で、仕事をすれば給料となって戻ってきた「昭和スタイル」の幸福である。工藤静香以降、長らくヤンキーポジションは空いていたが、多少理想と違っても、結婚し、家事や育児を夫と協力しながら仕事を続け、念願のアパレルブランドまで立ち上げる……そう、木下優樹菜こそが、平成の美女ヤンキーの先頭に躍り出たのだ。
その優樹菜が『ユキナ産。』(講談社)を発売した。本書は、お笑い芸人FUJIWARAのフジモンこと藤本敏史との結婚までのいきさつを描き、13万部超えの大ヒットとなった『ユキナ婚。』(同)の続編として、妊娠発覚から出産までの道程を記したものである。妊娠ダイアリーや、出産ドキュメント漫画、妊婦でも安心して使えるコスメ、食べ物、飲み物、妊婦ファッションと実用的な情報、さらには愛娘の写真も公開している。
前作『ユキナ婚。』では、イケメン好きな優樹菜がどうしてフジモンを選んだのか。フジモンと結婚したのは、「妥協」ではなく、理想の相手だから、ということに多くの紙面を割いているが、本作でもフジモンは頻繁に登場し、妊婦優樹菜を献身的にサポートしている。
「優男(やさお)」と優樹菜が名づけるほど、フジモンは優しい。ステーキを注文すれば、肉を切ってくれる。米もろくにとげなかったのに、つわりで食欲がない優樹菜のために食事を作ってくれる。夜中に叩き起こされて、焼き肉が食べたいと言われたら、嫌な顔をせずにすぐに連れて行く。掃除や洗濯機もし、妊娠中特有のむくみには本を買ってマッサージを勉強。おなかの大きな優樹菜の爪を切り、優樹菜がスニーカーでうんこをふめば靴を洗いと、まるで家来のようにまめまめしく優樹菜に仕える一方で、結婚記念日には平成22年のプロポーズにちなんで、バラを22本贈るなど、優樹菜を女性として扱うことも忘れない。釣った魚にエサをやらないのが一般的な日本の男というものだが、フジモンは結婚後、ますます優樹菜を好きになったと述べている。
冒頭の問いに話を戻すが、美女ヤンキーがなぜ幸せになるのかと言えば、理由は2つある。まず1つ目は、ヤンキーと呼ばれる人々は、愛し、愛されることこそが、物や金を凌駕する幸せという「愛至上主義者」だからである。頭の中で組み立てた理想の男がいて、めぐり合えないのなら、自ら狩りに出てしまえという立身出世伝的ロマンスよりも、近くで愛をささやき、いつも一緒にいてくれる相手になびく、地産地消的恋愛をよしとする。
前作『ユキナ婚。』において、優樹菜はフジモンを意識した最初のきっかけを、フジモンの「おまえはドSに見せてドM」「本当は弱いのわかってるぞ」と内面を見抜かれたことと、フジモンが優樹菜の誕生日にマンションの傍に「誕生日おめでとう」と垂れ幕を掛けて祝ってくれたことと書いているが、うす汚れちまった大人なら、どちらも鼻で笑う出来事だろう。が、ヤンキーは「私のためにこんなことを」とほろっといってしまうのである。
2つ目の理由は、ヤンキーの「愛」と「仁」を重んじる精神性は、非常に日本的であるがゆえに、どのような社会(普通のママ社会はもちろん、裏社会や芸能界といった特殊な世界まで)とも精神的になじみ、ツブシが利くからである。700万部を売り上げた紡木たく先生の『ホットロード』(集英社)を愛読したのは、本物のヤンキーだけではない。家庭に居場所のなかった少年と少女が、愛し合い、不器用に相手を思い合う姿が、非ヤンキーの心も打ったのである。日本人全ての心の中には、「愛」と「仁」を好むという意味での「ヤンキー精神」が宿っていると言っても過言ではない。
最初は好みでなかったとしても、愛してくれる分、愛してしまう。ヤンキー女子のメンタリティは、言い換えれば「誰と結婚しても幸せになれる」ということ。ここに一定水準以上の美貌が加われば、鬼に金棒である。
ところで、優樹菜はなかなか稀有な存在である。子どもの名前も顔写真も公開しているが、本人は「世間はどう思っているかわからないけど、優樹菜としてはママタレ意識は特にない」とし、また実母と姉がいるので「ママ友はいらない」と言う。
「露出するけれど、ウリにはしない」「ママ友なしで子育てをする」……そんな、人からは「せっかくママになったのに」「何だか寂しそう」と見られる生き方を選ぶ。これらの事実が指し示すのは、優樹菜の「自意識」の低さである。
女の脳内にはもう1人の自分がいて、時々自らの決断に不穏なツッコミをいれてくる。例えば、優樹菜は腐っても「ViVi」(講談社)モデル。いくらヤンキー気質で、すぐに相手を好きになるといっても、フジモンで手を打つ必要はない。自意識の高い女であれば、どこかから、こんなささやきが聞こえたはずだ。「あんな彼氏じゃ、人に笑われる。うらやましがってもらえない」
人にどう思われるかばかり気にしてしまう気持ちは、往々にして女を不幸に導くが、優樹菜はこの意識がもともと薄いようである。小学校1年生の遠足で、見たい景色があるからと1人でお弁当を食べたというから、年季が入っている。何ひとつ話が合わないであろうに、仕事欲しさにママタレ界のボス・神田うのにすり寄ったり、尽くす妻を演出したいばかりに、ブログで夫に褒め言葉を強要する倖田來未とは根性の入り方が違う。
高い「自意識」はイコール「野望」である。どんなにうまく好感度の高いふるまいをしても、テレビというメディアは、ふとした瞬間に漏れる野望を映し出す。ふるまいと野望に隔たりがあるほど「本性見たり」とバッシングの対象となるが、優樹菜にはそれがない。フジモンが超一流でないから、余計な嫉妬も買わない(出産後2カ月での復帰は叩かれたが、それは子どもを持つ母親が直面する現実と従来の価値観のせめぎ合いであるので、優樹菜本人に寄せられたものとは、種類が異なる)。
独特の“優樹菜語”でつづられる日記は、同じテイストを好む妊婦以外には、興味を引かれるものではないかもしれない。が、優樹菜の「ある意味、自分に自信があるのかもしれない(笑)」の言葉は、男や自分にこだわりがありすぎる女子に付ける薬となるだろう。
(仁科友里)