セックスレスという劣等感で主婦が結束、その狂気に浮かび上がる女の性
■今回の官能小説
『世界人類がセックスレスでありますように』目黒条(マガジンハウス)
今回の官能小説レビューは、“番外編”。いつもとは180度趣を変えて、セックス“レス”について語ろうと思う。
最近のあらゆるメディアを見聞きしていると、現代の世の中は、まるでオンナに対してセックスを強要しているように思えてしまう。やれ「膣をトレーニングしろ」だの、朝から「セックスレス特集」だの、声高に「女性は死ぬまでセックスを!」だの……まるでオンナはセックスを“しなければならない”言われようである。
今年の「an・an」(マガジンハウス)セックス特集では、週に1回以上セックスしている女性は42.9%という統計が出ていて、思わず「ホントかよ!」と声を荒げてしまった。そんなはず、ない。メディアが、顔の見えない誰かが、「セックスしなきゃ」「みんなもしてるよ」というものだから、自分だけがセックスレスなのは不自然なのかと感じて、なんとなく回数を盛っている……と深読みしてしまう。関係が安定したカップルは、週イチどころか月イチセックスもおろそかになるというのは、わりとよくある話で、だったら、現役でセックスを続けている夫婦なんて、リアルで統計を取ったらどんな結果が出るのだろう。特に、子宝に恵まれ、子づくりという共同作業を一段落した夫婦間は?
今回ご紹介する『世界人類がセックスレスでありますように』(マガジンハウス)は、子どもが同じ幼稚園に通うママ友グループをめぐる物語。幼稚園の送迎バスが停車するバス停で顔見知りになった彼女たちは、互いの生活レベルや個々の資質を値踏みしながら、表面的には“仲良しママ友グループ”を装う。「同い年の子ども1人」という共通項を持つ者同士の主婦仲間が、世帯収入の次に気になるのが、セックス事情だ。バス停仲間の初めてのランチ会で、誰もがふつふつと気にしていたお隣のセックス事情を、「2人目は?」という話の流れから切り出してゆく。そして、その場に集っていた5人全員が“セックスレス”だということが判明する――。
セックスできる相手がすぐ側にいながらも、セックスレス。それも、長い間。母として、妻としては、それも“アリ”かもしれないが、オンナとしてはどうだろう?
彼女たちは、偶然同じ星座だったことから名付けられた“スコーピオの会”を発足し、セックスレス同士でさまざまな活動をすることになる。ナンパ待ち、活動報告、webを立ち上げての仲間勧誘――セックスレスという絆で結ばれた彼女たちの活動は、「性の権利を取り戻そう」と強く団結し合い、いつしか危険な方向へと動き出してゆく。
セックスをしているか、していないか。それは、男女間よりも、同性同士でこその分けられ方だ。「セックス現役の女性の方が優れている」というセオリーが蔓延している昨今、「セックスレスです」と、手を挙げられるほど勇気のある女性は、多分多くはない。おずおずと挙手したところに、次々と賛同されたとしたら、なんと心強いだろう。女同士は、共感し合うことで強い自信を共有し合い、何倍ものパワーを生む。しかも、その源が、「オンナとしての価値を失ってしまったかもしれない」という劣等感だとしたら、それはそれは爆発的なパワーを生み出すのではないだろうか。それが正しい方向に導かれる場合もあれば、逆の場合だってあるのだ。
オンナとして最大の悦びともいわれる、愛する男とのセックス。それを、こなしているかどうかなんて、女同士のくだらない背比べだと、いわれてしまうかもしれない。身体の結合があるかないかなんて、問題じゃない。それより大切なのは、大事な人と心がつながっているか、どうなのか。セックスはその延長上に行われるものでしかないのだ……と。
自分自身、そう頭では理解していながらも、やはり「オンナとして満たされていない」「オンナとして欠陥がある」という思い込んでしまう現実は、結構キツい。「セックスすべき」という時代の流れもあいなり、ママになってもセックスのしがらみから解放されずに、あがき続けなければならない。『世界人類がセックスレスでありますように』は、セックスレスを描くことで、そんなオンナとしての哀しい性を浮き彫りにしている。