「私が旦那を磨いた」という「VERY」の矜持を、ばっさり切り捨てた小島慶子
インターネットでもテレビでもちょっとでも失言すると叩かれてしまう時代。最強なのは、ギリギリのラインで本音を言えるキャラクターを持っている人のような気もします。見渡したところ、やっぱりマツコデラックスや有吉弘行あたりが盤石な気もしますが、最近の小島慶子さんもその域にきている気がしますね。今月の「コ・ジ・マ・メ・セ・ンのもしかしてVERY失格」では、先月のイケダンスナップの話をとりあげながら、「私が彼を磨いたのよ」という女性も、「僕が彼女を磨いたんだよ」という男性のことも苦手とバッサリ。その理由は、「立派な家族を持つ立派な私」だと思っている気がするからだそう。そして、「ママや奥さんを輝かせるために、絵になる家族にならなきゃいけないのだから、私ならグレる」とも書いていて、毎度のことながらギリギリのラインを責めまくっています。
<トピック>
◎コ・ジ・マ・メ・セ・ンのもしかしてVERY失格
◎別冊付録 イイ男はたいがい、人のもの
◎なぜ、女性は自分だけの佳苗を語りたがる
■別冊は「私のイケダンお披露目会」
今月は、そんな小島さんの意見と相反するように「イイ男はたいがい、人のもの」という別冊付録もついています。このタイトルですが、どこか意味深ですよね。そもそも、「人のもの」の「人」って誰から見ての言葉なのかが気になります。
内容的には、単に「VERY」読者が旦那さんをイケダンにするためのファッション指南になっているのですが、さわやかな旦那さんを後ろから勝ち誇ったように抱きしめる妻という構図の表紙写真を見ると、おのずと伝わってくるんです。「いい男は私のもの」ですよというメッセージが。
そしてそんな意図を感じながら、表紙に書いている「既婚者なのにモテまくるのも、妻としては心配だけれど『どうしてあの人、結婚できたの?』と職場の若いコに囁かれるよりは百倍いいかわからない!」という文言を読んでいると、さきほど引用した小島さんの「私が彼を磨いたのよ」という言葉が脳裏に浮かんできます。いやー、1つの特集でここまで深読みさせてくれるって、逆に「あっぱれ!」ですね。
■自分でボケて、自分でツッコむ「VERY」
今月はこれだけじゃありません。「VERY」読者の価値観とはおおよそ真逆のイメージかと思われる北原みのりさんが、小島慶子さんとの対談で初登場しています。議題は「なぜ、女性は自分だけの佳苗を語りたがる」です。
木嶋香苗の裁判の傍聴記である「毒婦」を書いた北原さんと小島さんの対談からは、新しい「毒婦」=木嶋佳苗論が見えてきます。小島さんは、佳苗の価値観から「内面化した他者の視線に苦しんでいる女性は多いのでは」と仮定し、そんな視線から生まれたであろう「男からも女からも欲しがられる女でなければならない」という価値観や「男性優位社会に依存しつつ、したたかに自分を高く売る人しか生き残れない」女子アナについてまで言及していて、北原さんからも「佳苗と女子アナが結び付くなんて全く思わなかった(笑)」という驚きの声も上がっていました。こうした2人の声は単なる佳苗批判、佳苗をむやみに否定することで自分の欲望を封印している人への批判ではなく、「自分の中に巣くう、欲望の正体」についてじっくり考えるきっかけでもあるようです。
考えてみると、「VERY」の中にも「いいダンナさんと結婚して金銭的にも不自由なく、センス良く幸せに暮らしている人になって、他者からうらやましがられたい」という欲望と、「完璧な幸せなんて実際には不可能で、やっぱりリアルには悩みがる」というダブルスタンダードがあります。「イケダン」を持ち上げる企画と、リリー・フランキーさんが連載していた時代からあった「イケダンなんて昼間っから女口説いてる奴」と貶める2つの企画が両立して成り立ってきたわけです。とりわけここ数カ月の「VERY」は、そんなダブルスタンダードを手に平の上で転がす様子がますます巧妙かつ軽快になってきている気がします。新たな読者を増やしているんではないかと深読みしてしまいますが、実際のところはどうなのでしょうか。知りたいものです。
(芦沢芳子)