うざがられても「だって好きだもの」一途さを肯定してくれる 『ときめきトゥナイト』
とおーいとおーい昔に、大好きだった少女マンガのことを覚えていますか。知らず知らずのうちに、あの頃の少女マンガが、大人になった私たちの価値観や行動に、影響を与えていることもあるのです。あの頃の少女たちと今の私たちはどうつながっているのか? 少女マンガを研究する慶應義塾大学の大串尚代先生と読み解いてみましょう!
<今回取り上げる作品>
池野恋『ときめきトゥナイト』/『りぼん』(集英社)連載、1982〜1994年
いちおう「文学研究なぞをやっている学者研究者」ということになっている私ですが、作家や作品についてコマコマと調べていると、時折ふと、中学生の頃の恥ずかしい記憶が蘇ってくることがあります。そう――それは好きな男の子の「マル秘調査レポート」制作です。
生年月日、住所、電話番号はもとより、身長・体重、家族構成、通っている塾、得意科目、好きな食べ物、好きな歌手……「好きな人のことなら何でも知りたい! 私服の彼を見てみたい!」などという芸能レポーターも真っ青の探求心は留まることを知りません。地道な聞き込み調査や、会話の端々から彼の好みを推察する考察力は、今の私の生業の基礎になっているかもしれません。
そんなオトメの欲望と妄想力をストレートに描いた少女マンガといえば、池野恋『ときめきトゥナイト』(集英社)をおいて、ほかにはないでしょう。ちょうど私の小学校から中学校時代にかけて大流行したこのマンガを読み返してみて、あらためて作品にあふれる、のびのびとした妄想力に脱帽した私です。特に第一部は息もつかせぬストーリー展開で、一度読み始めたらページを繰る手を止められません。
吸血鬼の父と狼女の母親という魔界人を両親に持つ江藤蘭世は、人間界に暮らす普通の女の子。中学で同じクラスになった、クールで無愛想だけれども、ふとした瞬間に見せる優しさがたまらない真壁俊に片思い中。そんな中、やっと蘭世に魔界人としての能力――彼女の場合は「噛みついたものに変身する能力」――が芽生えてきた。人間と魔界人との恋は許されるのか? 折しも魔界では、かつて王家に産まれた双子の兄弟のうち、赤子の頃に人間界に追放された王子の存在が取りざたされており、江藤家に王子捜索の依頼が舞い込んできた……。
噛みついたもの(人でも物でも)に変身できる――そんな能力があったら、することは1つです。家族とか男友達とか動物とかに変身して、好きな人の家に忍び込む――これ以外に選択肢があって? 蘭世が真壁君の家に入り込むストーリー展開は当然のことといえましょう。好きな人の普段の私生活を見たい! 寝起きの顔とか見てみたい! それを考えるだけで「あ~ん!」と悶えるわけです。そして、もし何かできることがあったら彼を助けてあげたい、などと思うことが「女の子らしい恋」だと刷り込まれていくわけです。
冷たくされても、相手にされなくても、自身をかえりみずに好きな人のために一途に行動していたら、自分の恋も成就するんじゃないかしら。そう、あの冷たい真壁君がお節介な蘭世を好きになったように――などというファンタジーを読者(つまり私ですが……)に与えた点も罪深いでしょう。冷たくされてもときめき、優しくされてもときめいてしまう。このマンガの醍醐味は、どんな状況にもときめくその「一途さ」こそが恋愛だという世界観が繰り広げられているところでしょう。もちろん、読者がその後「一途さ」と「うざい」は紙一重だということを、実体験によって気づくことになろうとも、です。
さらにこのマンガのすごいところは、ヒロインによる、好きな男の子の「育て直し」が描かれているところです。当然の成り行きではありますが、人間界に追放された魔界の王子様というのは、実は真壁君。魔界人としての能力が目覚めた時、真壁君は一度赤子に戻ってしまいます。そして、その子を育てるのが蘭世なんです。つまり蘭世は、真壁君の過去をも手中に収めるのです。彼のこれまでのすべてを知りたいというオトメの探求心をくすぐるストーリー展開には、今さらながら驚嘆してしまいました。
私のような当時の読者にとって、「だってやっぱり私、真壁くんが好きなんだもの」という態度をつらぬく一途な蘭世は、1つのロールモデルでした。もちろん、先にも述べたように、これは「うっとうしい女」へとたやすく横滑りします。実際私は中学時代に片思いをしていたK君に10年ぶりに再会した時、話の流れで「K君は11月生まれだったよね」とうっかり言ってしまい、「そんなことまだ覚えてんの?」と、ちょっと引かれました……。
けれども、同時に、どんな時でもハイパーポジティヴな蘭世に、女の子たちは元気づけられていたと思います。今読むと、脳天気に見えるかもしれません。でも――恋愛であれ、仕事であれ――「だってやっぱり好きだもの!」という一途さが必要な時もあることを、昔「女の子」だった私たちは、どこかで了解しているのではないでしょうか。
かくして中学時代に培った恋愛をベースにした一途な「探求心」は、今や「知的好奇心」を偽装しつつ、現在の私を支えているのです。
大串尚代(おおぐし・ひさよ)
1971年生まれ。慶應義塾大学文学部准教授。専門はアメリカ文学。ポール・ボウルズ、リディア・マリア・チャイルドらを中心に、ジェンダーやセクシュアリティの問題に取り組む。現在は、19世紀アメリカ女性作家の宗教的な思想系譜を研究中。また、「永遠性」「関係性」をキーワードに、70年代以降の日本の少女マンガ研究も行う。