サイゾーウーマンコラム有栖川宮詐欺事件の女犯人 コラム [連載]悪女の履歴書 “ニセ殿下”の虚言癖、“出たがり女”の虚栄心――「有栖川宮詐欺事件」の浅はかな見栄 2016/11/21 21:00 悪女の履歴書 (前編はこちら) ◎“ニセ殿下”の虚言癖 有栖川識仁(当時41)を名乗った男の本名は北沢康弘。北沢が有栖川を名乗り出したのは結婚式が行われる約18年ほど前の1995年頃のことだったという。いわく、87年に亡くなった高松宮宣仁殿下の“ご落胤”で、断絶した有栖川宮を“復興させる権利”があるとのこと。そして90年には「有栖川記念事業団」という政治団体の代表に就任、寄付金などを集めていたという。その後も“宮様”である北沢はあるマルチ商法の広告塔として、全国で詐欺行為を働いていた。 しかし、実際には北沢は京都宇治市の長屋に生まれ、両親は八百屋を営み、経済的にはあまり恵まれない家庭に生まれ育っている。母親によれば、勉強も苦手で中学卒業後に働き始めたという。だが、仕事は長続きせず、親子の折り合いも悪くなり、北沢は家を出た。 また北沢には若い頃から虚言癖もあり、“叔父が衆院選に出馬する”“自分は京大卒”などと言い出し、そしてついには“高松宮殿下がお亡くなりになる前に自分を呼び寄せ、お前には有栖川宮家を継ぐ権利があるといわれた”などと、主張しはじめた。 その後は皇室の名前を利用して、各地で細々と詐欺を行ってきたという。こうした“皇室詐欺”は時折世間を騒がすものの、被害者も“本当に皇室につながる人間だったら”という心理が働き、事件化されないことは珍しくなかった。北沢もそうした人々に漬け込み、地味で目立たない詐欺を繰り返していたとみられる。 ◎上昇志向と虚栄心、いわくつきの“婚約者” 一方の坂上春子(仮名・当時44)は熊本県で、郵便局に勤める堅実な両親と妹がいる、質素だが堅実な家庭で生まれ育った。 また、その美貌は幼い頃から有名だったという。18歳の時に「準ミス熊本」に選ばれたほどで、同級生からもあこがれの存在だった。その後、高校を卒業した坂上は、地元のバス会社に就職。そこを1年で辞めたのち結婚、夫婦で学習塾を始め、2人の子どもにも恵まれた。 しかし、問題は坂上の強烈な上昇志向だった。当時坂上は、自己啓発教材販売で高額な報酬を得たり、化粧品のセールスで月に500万円以上の収入を得ているなどと周囲に吹聴していた。それが、事実なのかどうかは不明だが、もともと派手好きで、セレブっぽい振る舞いを好んだ坂上は、地味な結婚生活に嫌気が差し、数年で離婚する。 その後、31歳になった坂上は、あるプロダクション経営の男性と再婚し上京するが、34歳で再び離婚した。その間、銀座ホステスや宗教団体の巫女、さらに結婚式をプロデュースする会社の設立し、「アナウンサー」「モデル」「ミスインターナショナル」などを自称していた。 次のページ 虚栄心と金欲を満たすために利用 12次のページ Amazon 『皇族誕生 (角川文庫)』 関連記事 皇室という最大のタブーを破った、恋人の遺体と45日間生活、交際5年の果てに女が犯した「ラストダンス殺人事件」“お受験殺人”の名で隠された、「音羽幼児殺人事件」“ママの世界”の本質“理想の子育て”と評された母親はなぜ“鬼母”に――「大阪2児放置・餓死事件」 「婚期を逃したハイミス」の時代に生きた、伊藤素子の「犯罪の影に男あり」