『スター・ウォーズ』ダース・ベイダー役、『ハリー・ポッター』マクゴナガル先生など【2024年に亡くなったセレブ10人】

2024/12/28 12:00
堀川樹里(ライター)
10月17日、ブエノスアイレスでリアム・ペインの追悼に集まったファン(C)GettyImages

 大御所の訃報が多かった今年の海外エンターテイメント界。まだ若いのにホテルから転落死した時代を作ったアイドルグループの元メンバー、つらい闘病の末に命が尽きた90年代を代表する女優、孤独死したフィットネス界の雄など、悲しい知らせもあった。

 今回は、そんな2024年に惜しまれつつ亡くなった10人の海外セレブの生涯を振り返る。

目次

O・J・シンプソン (元アメフト選手/俳優) 4月10日死去 享年76
ドナルド・サザーランド (俳優) 6月20日死去 享年88
リチャード・シモンズ (フィットネスコーチ) 7月13日死去3 享年76
シャナン・ドハーティ (女優) 7月13日死去 享年53

アラン・ドロン (俳優) 8月18日死去 享年88
ジェームズ・アール・ジョーンズ (俳優) 9月9日死去 享年93
ティト・ジャクソン (ギタリスト) 9月15日死去 享年70

マギー・スミス (女優) 9月27日死去 享年89
リアム・ペイン (歌手) 10月16日死去 享年31
クインシー・ジョーンズ (音楽プロデューサー・ジャズ・アーティスト) 11月3日死去 享年91

O・J・シンプソン (元アメフト選手/俳優) 4月10日死去 享年76

 ”ジュース”という愛称で全米に愛された元アメフト選手。引退後は俳優転身するなど人気者だったが、1994年に元妻とそのボーイフレンドに対する殺人容疑をかけられ、ヒーローだったイメージが一転。刑事裁判では“人種差別カード”を切り無罪を獲得したが、限りなく黒に近いといわれ「世紀の裁判」と呼ばれるようになった。

 サンフランシスコの貧しい黒人家庭に生まれ育ち、高校在学時にアメフトの才能が開花。南カリフォルニア大学で活躍した後、プロ選手となり優秀な成績を残した。数多くの賞も獲得し、白人からも黒人からも愛され、引退後は大ヒットコメディ映画シリーズに出演し国民的人気者となった。

 しかし、妻とそのボーイフレンドが刺殺された事件の犯人として逮捕され、イメージが一転。刑事裁判には勝ち、黒人はヒーローとして彼のことをあがめたが、その後の民事裁判では殺害に関与したと認定され、賠償金を支払うよう命じられた。

 2007年にはラスベガスのホテルの強盗事件で有罪判決を受け、服役するなど、“みんなのヒーロー”に復帰することはできなかったが、晩年はTwitter(現X)で80万人以上ものフォロワーを抱えた。

 私生活では、19歳で結婚した最初の妻との間に3人の子どもを儲けたが、次女は2歳になる直前に自宅プールで溺死。1985年に再婚した故ニコールとの間には、1男1女をもうけたが92年に離婚。23年にがんを公表し前向きに闘病していて、家族は声明で「大勢の子どもや孫に囲まれながら息を引き取った」と発表した。

ドナルド・サザーランド (俳優) 6月20日死去 享年88

 大ヒット映画シリーズ『ハンガー・ゲーム』や人気ドラマ『ダーティ・セクシー・マネー』など、数多くの映画やテレビドラマに出演した名優。『24 -TWENTY FOUR-』のキーファー・サザーランドの父親としても知られ、仲の良い親子だった。慢性閉塞性肺疾患のため入所していたホスピスで死去。父の死を報告したキーファーは「良い人生だった」とつづった。

 カナダのニューブランズウィック州出身。地元ラジオ局の司会を経てトロント大学を卒業後、役者を志し渡英。ロンドン音楽演劇芸術アカデミーなどで学んだ後、同地にて舞台や英テレビドラマ、映画で俳優としてのキャリアをスタート。

 大ヒットコメディ『M★A★S★H★ マッシュ』や、ジェーン・フォンダがオスカーを獲得した映画『コールガール』(71)で共演して知名度を上げた。印象に残る存在感が強い個性派俳優として、2017年にアカデミー名誉賞が贈られている。

 プライベートでは3度の結婚を経験。2人目の妻との間に生まれた双子のうちの男児、キーファーは世界的俳優となり、『ワイルドガン』(15)で共演し話題に。3人目の妻との間には次男、三男、四男をもうけた。

リチャード・シモンズ (フィットネスコーチ) 7月13日死去 享年76

 70年代から80年代に巻き起こったフィットネスブームの第一人者。エクササイズと食生活を楽しむことでダイエットをする「ヘルシー・ライフスタイル」の提唱者であり、親しみやすい外見と性格で世界中にファンを抱えていた。

 ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。4歳の頃から食べ過ぎによる肥満児となり、15歳の時に体重は83kgに。フロリダ州立大学生時代の70年代からフィットネスに興味を持つようになり、56kgの減量に成功。自身のダイエット経験を反映させたエクササイズスタジオやサラダバーレストランを開業し、リリースしたエアロビクスビデオは大ヒット。

 フィットネス番組『リチャード・シモンズ・ショー』の司会も自ら務め、エミー賞を獲得するなど、フィットネスの神様と呼ばれるようになった。

 2014年に突然引退し、さまざまな臆測が流れるように。本人は事あるごとに「大丈夫。自分のやりたいことをやっているだけ」「ハッピーだしヘルシーだよ」と説明していた。

 76歳の誕生日に「こんなにお祝いの言葉をもらったのは初めて!」と喜びのツイートを投稿した翌日、自宅ベッドで死亡しているのが発見された。睡眠中の心臓発作が死因と発表されている。

シャナン・ドハーティ (女優) 7月13日死去 享年53

 『ビバリーヒルズ高校白書』『チャームズ~魔女3姉妹~』など90年代の大ヒットテレビドラマで人気を博した実力派女優。しかし、共演者との不仲が原因で番組を降板したり、遅刻魔だったりと絶頂期はハリウッドの問題児とも呼ばれた。

 テネシー州メンフィスに誕生。幼い頃から演劇に興味を持ち11歳で『新・大草原の小さな家』に出演。子役として活躍した後、『ビバヒル』のブレンダ役で大ブレークした。現場でトラブルメーカー呼ばわりされたり、「プレイボーイ」でヌードを披露するなど90年代はタブロイド紙をにぎわせ続けた。

 22歳で化粧品メーカー「マックス・ファクター」の御曹司と婚約するものの、口論が絶えず、双方が「DVされた」と主張するようになり、破局。その直後、2世俳優と結婚するものの半年で離婚。31歳で結婚した悪名高きポーカープレイヤー、リック・サロモンとの再婚も9カ月で破局するなど、プライベートも波乱に満ちていた。

 2011年に写真家と3度目の結婚。15年にはステージ3の乳がんと診断され、さらにリンパ節転移し、乳房を片方切除し化学・放射線療法を受けるなど壮絶な闘病生活を送り、17年に寛解したが、その間に夫の浮気が発覚し離婚。女優復帰も果たしたが、20年にがんが再発。23年には脳転移したことを発表し、今年1月には新しい治療法を受けるなど必死に闘病していたが、命尽きてしまった。生涯に渡り子どもは持たなかった。

アラン・ドロン (俳優) 8月18日死去 享年88

 フランス映画の黄金期を代表する国民的俳優で、「世紀の二枚目俳優」として世界中の映画ファンを魅了。銀幕界のスーパースターとして人気を集めたが、2019年に脳卒中を起こしてからは、彼の治療をめぐり子どもたちが繰り広げる法廷闘争が大きな話題になっていた。

 パリ郊外のソー出身。幼い頃に両親が離婚、再婚するなど、複雑な環境下で育った。少年時代は素行不良だったが、17歳でフランス海軍に入隊。20歳で除隊し、職を転々とした。ハンサムな外見から女性にモテまくり、女優ブリジット・オベールと出会ったことがきっかけとなり、とんとん拍子で映画に出演。1960年に『太陽がいっぱい』で世界的に大ブレークした。

 「映画界で最も美しい男性」と称され数多くの作品に出演し、2019年にカンヌ映画祭の名誉パルムドール賞を授与された。

 プライベートではドイツ人モデルで歌手・ニコとの間に認知しなかった長男、最初の妻との間に次男、離婚後付き合ったオランダ人モデルとの間に長女、3男をもうけた。アランの母親が養子に迎えた長男は、昨年亡くなっている。

 俳優デビューした次男はアランにそっくりだと話題になったが、19年に脳卒中に倒れてからは、治療内容をめぐり子どもたちが互いにののしり合うように。親子関係をうまく築けなかったことが、いさかいの原因だと伝えられた。

 死因は患っていたリンパ腫によるものとされている。「愛犬と一緒に埋葬してほしい」という遺言は法律上無効になり、愛犬は安楽死を免れた。

ジェームズ・アール・ジョーンズ (俳優) 9月9日 享年93

 特徴的な渋みと重厚感のある声で、『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーの声優、『ライオン・キング』の父親ムファサの声優で知られる演技派俳優。『レッド・オクトーバーを追え!』(90)『星の王子 ニューヨークへ行く』シリーズなど幅広いジャンルの作品に多数出演。名脇役として愛された。

 ミシシッピ州出身。父親ロバート・アール・ジョーンズも俳優だが、養育放棄されたため、祖父母に育てられた。吃音を治すために演劇を始め、ミシガン大学でも演劇を専攻。紆余曲折を経て1964年に映画デビューした。

 69年にブロードウェイの舞台でトニー賞を獲得。翌年に主演した映画『ボクサー』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。2011年には、映画界における長年の貢献が認められ、アカデミー名誉賞を受賞している。

 私生活では2度目の妻との間に長男をもうけた。16年には2型糖尿病を20年前に発症し、闘病生活を続けてきたことを告白。家族に見守られながら安らかに息を引き取ったと伝えられている。

ティト・ジャクソン (ギタリスト) 9月15日死去 享年70

 マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンの兄でジャクソン5のリード・ギター、その後もギタリストとして活躍。

 インディアナ州ゲイリーで、ジャクソン家の次男として誕生。兄、弟たちとジャクソン5を結成し、モータウン・レコードから「I Want You Back」「ABC」などの大ヒット曲を飛ばした。

 バンド解散後は、ギタリストとしてソロだけでなくバンドと共演するなど、音楽を愛し続けた。2016年にキャリア50周年を記念したファースト・ソロアルバムをリリースして大きな話題となった。親日家としても知られており、ライブだけでなくお忍びで来ることもあった。

 最初の妻との間に生まれた3人の息子たちは、R&Bグループ「3T」として活動し、3男のT.J.はキム・カーダシアンが処女を捧げたイケメンとしても知られている。日本人妻との間に長女がいるという情報もあるが、公表していない。移動中に心臓発作を起こし、すぐに病院へ搬送されたが帰らぬ人となった。

マギー・スミス (女優) 9月27日死去 享年89

 『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル先生や『天使にラブ・ソングを…』(92)の修道院長役で知られる、実力派女優。英国の国民的女優で1970年に大英帝国勲章第3位、90年に大英帝国勲章第2位を叙勲されており、チャールズ国王は「国の宝」と追悼した。

 エセックス州出身。父親はオックスフォード大学の病理学者で彼女自身も同大学に進学。すでにシェークスピアの舞台に立っていた彼女は、大学で演劇を学び、卒業後、本格的に女優としてのキャリアをスタートした。

 『ミス・ブロディの青春』(69)と『カリフォルニア・スイート』(78)で、アカデミー賞主演女優賞と助演女優賞をそれぞれ受賞。しかし彼女の知名度と人気を上げたのは『天使にラブ・ソングを…』と『ハリー・ポッター』シリーズ、『ダウントン・アビー』シリーズだった。

 穏やかな性格で、子役たちからも好かれた。共演者の誰もが口をそろえて「彼女のような役者はほかにはいない」と言っている。

 私生活では67年に俳優のロバート・スティーブンスと結婚し、2児をもうけるものの、7年後に離婚。その後、劇作家ビヴァリー・クロスと再婚したが、死別した。2人の子どもも俳優となり、次男のトビー・スティーブンスは『007 ダイ・アナザー・デイ』で悪役を演じ話題になった。バセドウ病や乳がんの闘病歴は明かしていたが、死因は公表されていない。ロンドンの病院で死去した。

リアム・ペイン (歌手) 10月16日死去 享年31

多忙を極めたワン・ダイレクション(C)GettyImages

 世界的アイドルだった「ワン・ダイレクション(以下、1D)」のメンバー。1D活動停止後はソロ活動を続けており、ファンへの対応もとても丁寧なことで人気だった。

 イングランド中部、ウルヴァーハンプトン出身。低出生体重児で体が弱く腎臓病だったことから、病院へ頻繁に通う幼少期を過ごした。12歳で劇団のメンバーとなり14歳で音楽オーディション番組『Xファクター』に出場したが、若すぎるとして失格に。2年後再び出場すると、番組出演者で結成されたグループ1Dのメンバーに選ばれ、世界的な社会現象を巻き起こすアイドルへと成長した。

 1D活動休止後、過密スケジュールで精神的に病んでいたことを告白。アルコール依存や薬物依存であったことも明かし、大きな話題になった。

 プライベートでは、歌手のシェリル・コールと2016年より交際、息子をもうけたものの18年に破局。翌年、ナオミ・キャンベルと交際するなど「年上キラー」と呼ばれた。22年から交際していたインフルエンサーのケイト・キャシディとは、毎日のようにSNSに動画を投稿して、仲の良いカップルとして知られた。

 死因は、滞在していたブエノスアイレスのホテルでの転落死。薬物の影響下による転落死だったとみられている。葬儀には脱退したゼインを含む1Dメンバー全員が駆けつけ、“悲しみのリユニオン(再結成)”と報じられた。

クインシー・ジョーンズ (音楽プロデューサー/ジャズ・アーティスト) 11月3日 享年91

 「ウィー・アー・ザ・ワールド」(85)や、マイケル・ジャクソンの「スリラー」(87)など、数多くの名曲を手がけた音楽プロデューサーでアーティスト。

 イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学び、10歳の時に知り合ったレイ・チャールズとジャズバンド活動を開始。バークリー音楽大学卒業後はライオネル・ハンプトン楽団に所属。トランペット奏者としてヨーロッパでも成功し、マーキュリー・レコードのニューヨーク支店副社長となり、オスカー作品『夜の大捜査線』(67)などの映画音楽や、フランク・シナトラ、マイケル・ジャクソンなどのプロデュースを手がけ、音楽界に欠かせない存在となった。グラミー賞だけでなくアカデミー賞も受賞している。

 プライベートでは3度の結婚を経験。交際していた2人の女性を含む5人の女性との間に7人の子どもをもうけた。晩年も音楽活動を続け、2022年には自叙伝をリリースしている。膵臓がんのために高級住宅地ベル・エアにある邸宅で、子どもたちやきょうだいら家族に囲まれ息を引き取った。

堀川樹里(ライター)

堀川樹里(ライター)

6歳で『空飛ぶ鉄腕美女ワンダーウーマン』にハマった筋金入りの海外ドラマ・ジャンキー。現在、フリーランスライターとして海外ドラマを中心に海外エンターテイメントに関する記事を公式サイトや雑誌等で執筆、翻訳。海外在住歴25年以上。

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最終更新:2024/12/28 12:00
御冥福をお祈りいたします