コラム
【堀江宏樹の歴史の窓から】

『虎に翼』が描く原爆裁判は「想像」でしかない? ドラマ化がかなり難しい理由

2024/08/17 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
ヒロインを演じる伊藤沙莉(C)GettyImages

歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎に翼』を史実的に解説します。

目次

「サスペンス美佐江」が法律を学ぶ理由は?
「原爆裁判」とは? 資料は捨てられている?
判決文には「政治の貧困を嘆く」と政治家に楯突く言葉も
判決文を書いたのは、当時26歳の若手裁判官だった

「サスペンス美佐江」が法律を学ぶ理由は?

 先週(第19週)の予告映像で、今週(第20週)から、ついに「原爆裁判」が取り上げられるらしいと知り、今更ながらに驚いたのは筆者だけではないでしょう。ドラマの猪爪寅子のキャリアと史実の三淵嘉子さんの経歴にはかなりの相違点があり、「原爆裁判」はもともとドラマ化するのが難しそうなトピックですから、触れずに終わるのではないか……とも考えていたのですが、やはり脚本家の吉田恵里香先生は最後まで攻めの姿勢を貫くのですね。

 ただ、『虎に翼』の「ラスボス」は原爆ではなく、新潟の大地主のお嬢様で、表向きは品行方正な優等生でありながら、裏では同級生たちを束ね、女子高生による売春騒動の元締めだった疑惑が抜ぬけないままの森口美佐江かもしれません。

 美佐江は東大に現役合格しており、新潟から東京に戻った寅子との接点が生まれるので、おそらく間違いない気はします。ミステリアスな言動を繰り返す美佐江のネットでのあだ名は「サスペンス美佐江」だそうですが、本当は「サイコパス美佐江」と呼ぶべきキャラのような気も……。

 なぜ自分の身体を好きに使って(売春をしては)はいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのかという疑問を平然と口にして、寅子を愕然とさせていました。あのシーンを見て、筆者も美佐江が法律を学ぶ本当の理由は、「どこまでなら捕まらないで済むのか」というラインを模索しているのかもしれない……と思って、ゾッとしたものです。

 さて、ドラマの最終回予想はこれくらいにして、今回は史実における「原爆裁判」とはどのように進んだのかをお話したいと思います。

「原爆裁判」とは? 資料は捨てられている?

 「原爆裁判」とは昭和30年代に本当にあった国賠訴訟(こくばいそしょう)――つまり日本という国家を訴え、賠償を請求した民事訴訟のことです。

 第二次世界大戦に参戦した結果、敗戦国となってしまった日本は、昭和26年(1951年)、「サンフランシスコ平和条約」に調印し、アメリカなど戦勝国から受けた戦争被害に対する賠償請求を放棄しているのです。

 これに対して、起こされたのが「原爆裁判」でした。

 「原爆裁判」という物々しい名称から想像されるのは異なり、原告は広島と長崎の被爆者5人で、訴えは昭和30年(1955)年に大阪地方裁判所と東京地方裁判所の2つで起こされました。、後に三淵さんが働いていた東京地方裁判所で総合的に審理されていくことになったのですが、驚いたことに「原爆裁判」の資料裁判の判決文を除き、すべてが捨てられてしまっているのだそうです。

 本来ならば各裁判所で保存するべき民事訴訟の記録が大量廃棄放棄されていた中で、「原爆裁判」の資料も廃棄されてしまったのだとか……。現在では、埼玉県の弁護士・大久保賢一さんが「原爆裁判」の記録として保存している資料だけが、唯一の資料といえるのだそうです。

 さらに「原爆裁判」に携わった寅子のモデルの三淵嘉子さん含む3人の裁判官が、職業上の秘匿義務もあり、ほとんど何も語っていないのです。そうしたという背景もあって、「原爆投下は国際法違反である」と認めたことで、世界の司法・政治に大きな影響を与えた「原爆裁判」が、正確にはどのようなものだったかを知ることはかなり難しいのです。ドラマでどのように描かれるかは、脚本家の吉田恵里香先生の想像力次第なのかもしれません。

判決文には「政治の貧困を嘆く」と政治家に楯突く言葉も

 下田隆一さんという原告の訴状を要約すると、「5人の子供を原爆で失い、自身と妻も原爆によって深刻な後遺症が残っているので、仕事を再開することさえできない。原爆投下は国際法違反で、国からの賠償を求める」というものでした。

 訴えが起こされてから裁判開始までが4年、それから結審まで4年、合計8年もかかった「原爆裁判」の法廷でくだされた判決は、原爆投下は国際法違反ではあるが、原爆被害者への国の賠償義務はないと要約し内容だったのです。

 しかし、原爆被害者たちからの「(賠償)請求を棄却する」、つまり国による賠償は現時点の法律の内容では行えないという判決内容ではあるのですが、古関敏正裁判長が読み上げた判決文には、日本という国が被害者たちに「十分な救済策を取るべきこと」なのに、それを可能とする法律がまだ国会で作られていない「政治の貧困を嘆く」という言葉が明確に含まれていたのですね。

 「原爆裁判」の判決文は、国として、アメリカなどには賠償請求を行わないという立場を決めた日本の政治家に楯突くような内容であり、アメリカなど戦勝国を刺激しうる内容でもあったので、裁判長の古関敏正さんは「20数年間の判事生活を通じて、今度が一番苦労した」と、新聞紙の記者たちの囲み取材でコメントしたそうです。正直な言葉ですよね。

 結審の法廷には、原告もほとんど来ておらず、傍聴席には報道各社の記者が何人かいるだけという静かさだったのですが、「原爆裁判」判決文が新聞などで大きく取り上げられるにつけ、世論と政治家が動き、「原爆裁判」結審から5年後の昭和43年(1968年)には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が定められたのでした。こうして段階的にせよ、被爆者への補償が始まっていったのです。

判決文を書いたのは、当時26歳の若手裁判官だった

こ うした当時の政治だけでなく、世界の歴史にまで影響した「原爆裁判」に三淵嘉子さんは、裁判長を補佐する二人の裁判官のうち、「右陪席」として関わりつづけました。裁判中に担当裁判長や右陪席、左陪席という二人の裁判官は異動したりもするそうですが、三淵さんだけは一貫して結審まで「原爆裁判」を担当し続けたそうです。

 残念ながら、三淵さんによる「原爆裁判」へのコメントは一切ないのですが、マスコミでも大きく取り上げられた「原爆裁判」の判決文を書いたのは、当時26歳だった「左陪席」の高桑昭さんだったということが御本人の回想録で明かされています。26歳の若手に任せられる仕事としてはあまりにヘビーだったでしょうね。

 ちなみに裁判官の仕事は、政治家とは異なり、そして弁護士などとも異なり、どういう裁判をしたというキャリアによって、その後の出世が左右されるような単純なものではないらしいのです(東北大学大学院法学研究科教授の井上泰人さんのインタビュー記事『裁判官の学びと職務』)。

 つまり世界や歴史を動かす裁判に関わったからといって、大出世したりはしないものだとか。三淵嘉子さんも世界を動かした「原爆裁判」の後は、各地の地方裁判所において非行少年たちと向かい合うという、比較的、小規模な仕事が中心だった理由も「そういうこと」だったのかもしれません。

 ただ、『寅に翼』は、そういう史実を反映した静かなエンディングでは終わりそうにはありません。「サスペンス美佐江」など大きな伏兵が待ち構えているはずですから、最後まで目が離せない作品になりそう……。今後とも楽しみですね!

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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最終更新:2024/08/17 17:00
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