【堀江宏樹の歴史の窓から】

『虎に翼』、周囲とギクシャクする寅子が「菩薩」に変化? 史実からみる「超名作」への期待

2024/07/20 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
ヒロインを演じる伊藤沙莉(C)GettyImages

歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎に翼』を史実的に解説します。

目次

わきまえない女性として振る舞うこと
猪爪家の「専業主婦」の花江と家庭を顧みない「夫」寅子
史実では、名古屋で再婚後に新潟へ
地方勤務を終え、大きく変化したヒロインのモデル・三淵さん

『虎に翼』わきまえない女性として振る舞うこと

 『虎に翼』、今週の放送から「新潟編」が始まり、寅子も東京の家庭裁判所から、新潟地家裁三条支部に支部長として赴任することになりました。しかし最近の『虎に翼』、なんだか見ていてヒヤヒヤするシーンが増えてきたような……。

 ちょうど先週の内容くらいからでしょうか、寅子と家族や周囲の関係が明らかにギクシャクしはじめ、「働きマン」あるあるだなぁと思っていました。

 『働きマン』(講談社)がはやったのも20年くらい前なので、軽く説明しておくと、「やる気スイッチ」が入れば、寝食を忘れ、一心不乱に仕事に取り組んでしまう編集者・松方弘子(29歳)を主人公とした安野モヨコさんによる漫画作品のことです。

 菅野美穂さん主演でドラマ化もされましたね。やる気になった松方弘子の変貌ぶりが、ウルトラマンとかスーパーマンみたいなので「働きマン」なのですが、猪爪寅子の「働きマン」ぶりも(20年前の名作を思い出すほどに)凄まじく、心配になるくらいでした。

 寅子はいつでも一生懸命ですし、彼女の喜怒哀楽にはまっとうな理由があるのです。しかし、「恩師」の穂積先生(小林薫さん)の退官記念会で怒りをほとばしらせたり、ラジオ出演中の最高裁の山本長官(矢島健一さん)による、寅子を持ち上げたつもりのコメントにまで「ハテ?」をぶつけるあたりには、さすがにハラハラさせられました。

 自分が信じる正しさを貫き、「わきまえない」女性として振る舞うことは、ここまで周囲との不協和音を生んでしまうのか……と今更ながらに感じいりましたし、これは寅子が女性キャラではなく、男性キャラだったとしても、かなり大変な印象のシーンになっていただろうと思います。しかしすべてを「きれいごと」で終わらせようとしない、脚本家の吉田恵里香先生はじめ、制作陣の勇気ある姿勢は立派ですね。

猪爪家の「専業主婦」の花江と家庭を顧みない「夫」寅子

 興味深かったのは、寅子自身も新潟への転勤が決まった時、山本長官に楯突いたことへの報復人事かもしれないと感じていなくはない様子でしたし、本当は異動を決定したのは桂場(松山ケンイチさん)だと知ると、彼にむかって「私の高くなりすぎた鼻をへし折り、正しい道に戻してくれようとしたんですよね」という意味のセリフを言っていた部分です。これは寅子自身も、周囲との関係がギクシャクしてきたことに気づいていたからでしょうね。

 思えば、寅子は長年ずっと「働きマン」すぎて、弟・直明(三山凌輝さん)の進路相談にも結局は乗らない(乗れない)ままでしたし、娘の優未(竹澤咲子さん)のことも同居の花江(森田望智さん)や甥っ子たちに任せっきりで、ほとんど把握していない状態になってしまっていました。

 猪爪家の「専業主婦」である花江と、家の外で働く寅子の関係も、共同生活している女性同士なのですが、まるで家庭を顧みない夫がいる熟年夫婦のように、こじれた部分が表面化していてなんとも心配――というように、思えば心配なことだらけのドラマになってしまいました。

 心配ばかりしていても何も始まらないので、今回は寅子の新潟赴任について調べてみたところ、実は猪爪寅子のモデルである三淵嘉子さんの人生の記録がかなり端折られていたことがわかりました。

史実では、名古屋で再婚後に新潟へ

 三淵さんにも新潟時代はあるのですが、それは三淵乾太郎さんと再婚してしばらくした後の昭和47年(1972年)からのことなのです。

 史実の三淵さんが、東京から最初に転勤したのは昭和27年(1952年)12月の名古屋地方裁判所でした。当地で初の女性判事となったときには駅の電光掲示板でさえも「名古屋に女性判事誕生」のニュースが大々的に報じられ、お祝いムードだったようです。

 そして前回のコラムでも書きましたが、名古屋でのちに再婚することになる三淵乾太郎さんとはお付き合いが始まったそうですね。ドラマでは名古屋ではなく新潟で、マイペースな星航一(岡田将生さん)との関係が深まっていくのでしょうか……。

 しかし、ドラマで新潟編がスタートしたのは、9月末の最終回までの放送期間が残り2カ月を切っており、新潟時代に荒波に揉まれ、人間的にも成長した寅子が東京家庭裁判所に復帰して非行少年たちの更生に尽力するというストーリーの終わらせ方を見据えているからだろうと思われます。

 三淵嘉子さんの人生を端折ることで、史実の三淵さんが経験した「原爆裁判」など、朝ドラで触れるには重大なテーマも回避できるので、それも現実的な判断としてあったのかもしれません。

 ――まぁ、普通のドラマならそうなるのでしょうが、『虎に翼』の脚本家・吉田恵里香先生は天才的な方なので、「原爆裁判」関係を凝縮して見せてくれる可能性も充分にあると思います。楽しみにしていましょう。

地方勤務を終え、大きく変化した三淵さん

 史実の三淵嘉子さんは地方勤務を終えてからは東京家裁にずっと勤務したわけではなく、埼玉の浦和地裁や、神奈川の横浜地裁などにちょくちょく異動はしていますね。裁判官の人生は本当に異動が多いのには驚いてしまいます。

 地方勤務を終えて関東に戻ってきた三淵さんは、それまでとはかなり異なった女性になっていたそうです。話すスピードがゆっくりになり、表情も柔らかくなり、少年たちの声を聞こうとする姿は「菩薩」とまで評されたそうですよ。

 ドラマの寅子も大きな変化を見せてくれるのでしょうか。ちなみに『働きマン』にはすべての問題を正面突破しようとする主人公・松方弘子に対し、「かわすこと」の大事さも教えてくれる女性キャラが登場していたと思ったのですが、確認したところ、わざと「女の子らしく」ふるまって、男性社会の構成員たちからかわいがってもらうことで、活路を見出す策謀家タイプからの「アドバイス」でした。

 もちろん現在でも有効な生き方でしょうが、寅子なら、そして『寅と翼』の視聴者なら「ハテ…」と思うところもあるでしょうね。

 『虎に翼』のタイトルは勇敢さを象徴する『虎』に、「かわす」だけでなく、問題を飛び越えてしまう「翼」を備えた存在に寅子が成長するという意味が込められているのだと思います。『虎に翼』が「名作」を超え、「超名作」にまでなれるかどうかは、寅子の今後の成長にかかっていると言えるでしょう。期待しています!

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

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Twitter:@horiehiroki

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最終更新:2024/07/20 17:00
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