【英国スキャンダル史ベスト5】王室にとって1992年は「思い返したくもない」、「ひどい年(アナス・ホリビリス)」だったワケは?
6月25日から27日まで国賓としてチャールズ国王とカミラ王妃から最上級の“おもてなし”を受けた天皇皇后両陛下。両国のメディアはこれら出来事を好意的に報じ、まさにお祭り騒ぎとなっている。
英王室はこれまで数々のスキャンダルに見舞われてきたが、なかでも最もつらい1年だったとされるのが1992年。この年になにが起こったのか、詳細に紹介する。
※2021年5月22日公開の記事を再編集しています。
目次
・英王室の家族の絆が崩れ落ちた1992年
・女王が初めて本音を明かしたスピーチ「「92年は思い返したくもない」
王室の家族の絆が崩れ落ちた1992年
スキャンダルの多い英王室といえど、毎年のようにスキャンダルに見舞われることはさすがにない。しかし、毎月のように悪いことが起き、エリザベス女王が頭を抱えた年があった。理想的な家族を築けば、国民の信頼を得られると思い、家族の結束力を大切にしてきた女王だが、92年、王室の家族の絆が崩れ落ちてしまったのだ。
時系列でその1年の出来事を振り返ってみよう。
1月18日
セーラが子どもたちを連れてテキサス州の石油王と不倫している写真がフランスのタブロイド紙に掲載。
2月11日
インドのタージ・マハールを訪問していたダイアナ妃が、メディアの前でひとりきりでベンチに座り「孤独感」をアピール。かわいそうだと王室は批判を受ける。
3月19日
アンドリュー王子とセーラが離婚に向けて別居することを発表。女王が激怒して決めたものだとタブロイドは伝えた。
4月23日
アン王女が73年に結婚した最初の配偶者マーク・フィリップス大佐と離婚。89年ごろから、「マークが浮気をしている」と不仲が伝えられるようになったが、王女は「離婚はしない」と主張し続けてきた。しかし、この日、アン王女は女王の子どもの中で初めて離婚した。
6月7日
暴露本『ダイアナ妃の真実』が発売。「ウィリアム王子を妊娠中、階段から身を投げ自殺未遂をした」「自傷」「過食症」だったダイアナが「助けを求めたが王室は無視した」「チャールズ皇太子は結婚後もカミラとの関係を続けていた」などショッキングな内容で、世間に大きな衝撃を与えた。王族メンバーが、自分が抱える問題をジャーナリストに明かすことはこれまでなく、この暴露本により女王は「加害者」という目で見られるようになり、支持率は急激に下がった。
8月20日
セーラが不倫相手に足の指をしゃぶられているパパラッチ写真が、タブロイドの1面に掲載される。3月に離婚することを発表していたが、その後、アンドリュー王子とセーラは娘たちと一緒に過ごすことが多く、復縁するのではないかと期待されていたタイミングだった。王室のイメージは修復できないほど傷つけられた。
8月24日
ダイアナと浮気相手ジェームズ・ギルビーとの盗聴された電話音声が流出。いわゆるスクウィジー・ゲートだが、ダイアナが「王室の暮らしが孤独でひどい」と嘆く内容は暴露本以上の衝撃を世間に与えた。
11月11日
チャールズ皇太子とカミラの盗聴された電話音声が流出。いわゆるタンパックス・ゲートで、王室のイメージは大幅にダウン。チャールズ皇太子は国王になるべきではない、ふさしくないという声が高まり、英国民の間から「王室は必要ないのではないか」という声も聞こえるようになってきた。
11月20日
女王の居城のひとつであるウィンザー城が火事に遭う。スタッフは大急ぎで貴重な工芸品を運び出したが、多くが焼失した。女王は大きな精神的ダメージを受け、一瞬、同情が集まったが、税金で修復するつもりではないかと再び国民の批判を浴びた。
11月24日
自身の戴冠40周年を祝う式典でエリザベス女王は、「92年は思い返したくもない、率直に言って喜べない年になりました。同情してくれた側近が“アナス・ホリビリス(ひどい年)”と表現したが、その通りです」と発言。女王が初めて本音を明かしたスピーチだとして大々的に報じられた。