コラム
【堀江宏樹の歴史の窓から】

『虎に翼』、岡本玲の満智は男女不平等社会が生んだ「悪女」? 

2024/05/25 17:00
堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)
ヒロインを演じる伊藤沙莉(C)GettyImages

歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎に翼』を歴史的に解説します。

目次

寅子のモデルが弁護士時代に経験した、ほぼ唯一の事例とは?
史実の三淵嘉子さんは「悪女」に騙されていない
阿部定事件など、男性よりも「わずか」だった女性の罪
満智は戦前日本の法律が作った悪女?

寅子のモデルが弁護士時代に経験した、ほぼ唯一の事例とは?

 先週の『虎に翼』も興味深く拝見しました。

 戦前日本において、既婚女性は法律的に「無能力者」として扱われ、人生における大事なことの大半を自分の意志で決めることはできず、すべて夫の言いなりにされてしまう現実への憤りをヒロイン・寅子は何度もあらわにしてきましたし、横暴な弁護士の夫と離婚する手段をさぐるため、自分でも法律を勉強しているといっていた梅子などの登場人物もいました。

 弁護士試験に合格した際にはマスコミに華々しく取り上げられたものの、女性であり、しかも独身の寅子はそれだけでクライアントたちから軽く見られたので、社会的信用を得るために、寅子の実家・猪爪家に長年書生として住みこんでいた佐田優三と、とりあえず結婚してみるなどの展開もありました。

 思えばNHKのドラマには行動力があって、知的でもあるヒロインほど、色恋の方面はあまり得意ではないというケースが圧倒的に多い気がしますね。

 ちなみに寅子のモデルとなった三淵嘉子さんも、実家に書生として出入りし、司法試験合格を諦めて一般企業のサラリーマンになっていた和田芳夫さんという方と結婚しているのですが(和田さんは三淵さんの最初の夫。後に戦死してしまい、再婚相手が三淵姓だった)、ドラマとは異なり、三淵さんが「和田さんと結婚したい」と強く望んだ末に、家族の仲立ちによって交際がスタート、その後、めでたく結ばれたそうです。

 しかし、史実の三淵さんも「なかなか和田さんが結婚しようとは言ってくれない」「男の人って意気地がないのね」とボヤく一幕もあったそうです。

史実の三淵嘉子さんは「悪女」に騙されていない

 また先週、妻側から夫に離婚を了解させたいと、寅子の勤務する弁護士事務所を訪れてきた女性が、「夫が出征する」という理由で、離婚申し立てを止めてしまうシーンもありました。実はあれこそが史実の三淵嘉子さんが弁護士時代に経験した、ほぼ唯一の事例をモデルにしたものです。

 史実でも夫に愛人を作られ、悩まされていた妻が三淵さんのクライアントになったことがあったのですが、出征が決まると、とたんに夫婦の足並みがピタリと揃って協議離婚が成立したそうです。つまり、史実の三淵さんは日本初の女性弁護士になったものの、ほとんど弁護士として腕を奮って働く機会がないまま、終戦を迎えてしまったのでした。

 先週の内容には、寅子が岡本玲さん演じる満智という被害者ヅラの悪女のクライアントにコロッと騙され、協力させられてしまうという「失態」もありましたが、ああいうことを三淵さんが経験したわけではありません。つまり、すべては脚本家の吉田恵里香さんの「創造」だと思われますが、かなりうまく描けていましたね。

 「女が生き抜くには悪知恵も必要」と言って憚らないドラマの満智を見ていると、男性よりも女性の権利が認められていない時代には、女性が男性と同じ罪を犯したところで、軽い罰しか受けなくて済んだという事実を思い出さずにはいられませんでした。

阿部定事件、フランスの男性殺害事件――男性よりも「わずか」だった女性の罪

 たとえば、三淵さんが明治大学法学部に入学した翌年にあたる昭和11年(1936年)、阿部定が愛人男性を荒川の待合(現在のラブホテル)で殺害し、その局部を切り取った猟奇殺人事件を起こしているのですが、裁判での彼女は「独占欲から彼を殺害した」と発言し、反省らしい反省など示しませんでした。また、検察は刑期10年を要求したにもかかわらず、下りたのは「わずか」懲役6年の判決だったのです。

 既婚女性を「無能力者」とする法律、そして男性よりも相対的に女性を軽く扱う法律などは、19世紀後半の欧米諸国でも当たり前のように存在していたのですが、1889年(日本では明治22年)、フランスのリヨンの森でトランクに男性の遺体が詰め込まれているのが発見される事件がありました。

 被害者はパリから失踪していた執達吏(裁判所職員)のオーギュスタン・グッフェ氏で、捜査の結果、殺人に加担したのは破産した実業家のミシェル・エローと、彼の愛人で、高級娼婦のガブリエル・ボンパールで、金欲しさゆえの犯行だったとわかりました。

 ガブリエルが色仕掛けで金満家のグッフェ氏を個室に誘い出し、そこでエローが彼の首を絞めて殺害、彼の財産を奪おうとしたのです。しかし、この時代のフランスでも女性は、男性のように確固たる意思をもって、(殺人などの)大胆な行動ができる存在とは認められてもいませんでした。

 ガブリエルはその社会の「常識」を悪用し、「私は催眠術にかかりやすい体質で、エローに洗脳されていた!」などと言い出します。そんな答弁、現在の裁判所では通じないでしょうが、当時は違いました。

 この裁判においてはエローが死刑になったのに対し、ガブリエルはエロー同様、明確な殺意をもってグッフェ氏殺害に加担したにもかかわらず、20年の強制労働刑で済みました。まぁ、20年も(ほぼ)タダ働きさせられるのなら、ひとおもいに処刑されたほうがマシだったような気もしますが……。

 ちなみに創作物の中の話ですが、同じ19世紀のフランスを舞台にした『レミゼラブル』では、主人公のジャン・バルジャンという男性がパンを一きれ盗んだ罪に対し、19年もの労働刑を科されています。

 このように女性を未熟な存在として扱い、男女の間に法的平等が成立していない社会は、日本でも外国でも、罪を犯した女性に対して、かなり「甘く」なりがちだったのです。

満智は戦前日本の法律が作った悪女?

 ドラマの満智は、病弱な歯科医の夫には飽き足らず、夫の友人で、やはり歯科医と密通し、その子を宿していたという当時の法律では姦通罪に問われかねない素行の女性でしたが、姦通罪は主に夫が妻を訴える場合に「のみ」有効でしたから、すでに満智の夫が故人なので、もはや法的に彼女を誰も裁けないのですね。

 満智はそういう法律の「穴」を利用し、さらに色恋の方面にはいかにも疎そうな、しかも「虐げられた女性のために働きたい!」という女性弁護士・寅子をうまく騙して、自分の都合にいいように働かせたのでした。満智は、戦前日本の法律が作った悪女だったのか、あるいは生まれながらの悪女だったのかはわかりませんが……。

 ちなみにフィンランド、イギリスなどほとんど欧米諸国においては19世紀末~20世紀前半の時点で、女性の参政権などが認められてゆく中で、次第に男女の法的平等も実現されていったのですが、フランスや日本では「戦後」になるまで――つまり1940年代になるまでは、女性の法的平等は実現されなかったのです。

堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『眠れなくなるほど怖い世界史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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最終更新:2024/06/10 22:36
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