『虎に翼』ドラマで描かれない当時の「司法」批判とは? 検察“でっちあげ”の帝人事件
歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎に翼』を歴史的に解説します。
目次
・ヒロイン・猪爪寅子の父親逮捕は“空想”
・「司法」の権威、検察を批判する言葉とは?
・異常事態において「話せばわかる」は通用しない
・ドラマは国家権力の恐ろしさを訴える内容に?
・「法律」とは人を貶める「罠」にもなりうる
ヒロイン・猪爪寅子の父親逮捕は“空想”
先週(第5週)は、日本初の女性弁護士にして女性裁判官になった三淵嘉子(旧姓・武藤嘉子)さんの人生をモデルにしたという触れ込みの『虎に翼』で、まさかのドラマオリジナル展開がありました。
昭和9(1934年)に本当に起きた「帝人事件」を下敷きにしたのであろう贈収賄事件に、銀行マンだった猪爪寅子の父・直言(なおこと)が巻き込まれるという驚がくの内容でした。三淵嘉子さんの父親・武藤貞雄さんも台湾銀行に勤務しており、彼とは直接関係なくても、「帝人事件」で同銀行内から逮捕者が出たことは史実ですから、そのあたりからの空想でしょうか。
実際の事件では16人もの被疑者たちが200日以上にも渡る長期勾留を受け、ドラマにも出てきた革手錠などの不当かつ過酷な扱いがなされていましたし、昭和10年(35年)に裁判が始まってからも、全員に無罪判決が降りるまで約2年もかかるなど、これをドラマで取り上げるとなれば、今後の『虎に翼』の方向性がまったく見えない状態になってしまったので、先週は連載をお休みさせていただきました。
「司法」の権威、検察を批判する言葉とは?
今回も「帝人事件」について延々と解説するのは避けますが、1920年代後半から、30年代前半当時の日本はドラマで描かれる以上に不景気とインフレが広まった時代でした。
ときの首相・斎藤実(さいとうまこと)を退陣させるべく、軍部にも顔が利く右翼の大物だった平沼騏一郎などを中心とする勢力が仕組んだ“でっちあげ”事件だったとみられています。昭和12年(1937年)12月16日の東京地方裁判所による判決文では、すべては検察がでっちあげた「空中の楼閣」、つまり架空のスキャンダルにすぎなかったという判断がくだりました。
裁判長が「今日の無罪は証拠不十分による無罪ではない。全く犯罪の事実が存在しなかったためである」と明言し、被疑者全員が無罪とされています。当時、検察の横暴を批判するべく、新聞などでは「司法ファッショ」という言葉が飛び交いました。
これは「法律」の専門家という「司法」の権威であることをいいことに、無実の人を犯罪者に仕立て上げ、独裁的に振る舞いうる検察のいかがわしさ、恐ろしさを批判する言葉でした。
なお戦後、日本の正式名称(国号)は「大日本帝国」から「日本国」に変わり、憲法や法律なども一新されたものの、逮捕された被疑者の有罪をでっちあげてしまう検察の暴走はしばしば指摘されていて、最近では厚生省(当時)の官僚の村木厚子さんを巻き込んだ「郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)」などが有名ですね。これが平成22年(2010年)の事件ですから、なかなかに根深いものがあります。
異常事態において「話せばわかる」は通用しない
また先週、某SNSを眺めていたら、「何らかの理由で逮捕されてしまったら、弁護士を付けてもらって、その弁護士が到着するまでは何を聞かれても、黙秘を貫いてください」という趣旨の投稿が流れてきました。
筆者もさすがに誤認逮捕されたことはないのですが、10年ほど前にとある窃盗事件に巻き込まれた経験はあります。詳細は伏せますが、警察署の取調室で被害届を提出するという段になっても「お前は実は虚偽の発言をしているのだろう」という態度みえみえで接せられ、ものすごく不快でした。
壁紙がなぜかボロボロ、窓がついていない部屋で、すごく不気味でしたね。現在の日本国の法律において、逮捕権を有する警察は、検察などとは別の司法権力であると明確に分けられているのですが、それでも何か異常事態に巻き込まれた際、「話せばわかる」というキレイごとが通用しない体感もありました。被害者の私でさえ、あれだけ疑われたのですから、おそらく罪が疑われている立場となれば、取り調べは凄まじいことになると思います。
さて「私の司法ファッショ」体験は置いておいて、「帝人事件」にお話を戻します。
ドラマは国家権力の恐ろしさを訴える内容に?
「帝人」こと「帝国人造絹糸」という会社の株式売買を巡る汚職疑惑が、三土忠造(みつちちゅうぞう)鉄道大臣――つまり斎藤内閣の一員をも巻き込んで広まる中、斎藤内閣は総辞職に追い込まれたのですね。
鉄道大臣=鉄道相と聞いても、その言葉になじみがない方は多いでしょうが、戦前の日本では鉄道省という役所があって、国家が鉄道を運営していたので、その長官が鉄道大臣だったのです。
そして、今週(第6週)でも、チェ・ヒャンスクさん演じる朝鮮人留学生の崔香淑(さい・こうしゅく)とその兄が、いわゆる「特高(とっこう、戦前日本に存在した特別高等警察の略)」と思しい連中に拘束されてしまう様子が描かれ、寅子の大学の先輩の夫にも召集令状が届いたという話があったり、いよいよキナ臭くなってまいりました。今後しばらくのドラマの展開としては、戦前・戦中日本の「国家権力の恐ろしさ」を訴えていく内容が続きそうです。
戦前の日本では、特別高等警察こと「特高」が、市民の生活を治安維持の美名のもとに監視していました。「特高」の活動がとくに本格化していったのは、日本では大正6年(1917年)の「ロシア革命」以降だといわれています。
戦前の日本は天皇制国家、つまり帝政でしたから、国家転覆の原因となりかねない社会主義・共産主義などは「敵」であり、違法だったのです。
「法律」とは人を貶める「罠」にもなりうる
そういう主義・主張の持ち主であると疑われる人物には付きまとうだけでなく、無実の罪をでっちあげ、逮捕して拷問をくわえ、架空の罪を自白させたりしていました。
『蟹工船』などの「プロレタリア文学」で知られる小林多喜二のように、拷問の末に死傷を負わされ、殺されてしまったケースさえあります。当時も拷問は法的には禁止されていたのですが、現実的にはまかりとおっており、被害者は「特高」の横暴をどこにも訴えることさえできなかったのですから、もう本当に恐ろしい時代であったということです。
筆者は社会主義・共産主義のシンパではありませんが、「帝人事件」や「特高」の暗躍など、「司法ファッショ」が引き起こした戦前・戦中の数々の事件については、帝政時代の汚点だったといわざるを得ません。明治、大正、昭和と華やかなイメージのある戦前日本のドス黒い暗部を象徴すると事件だったといえるでしょう。
こういう時代においては、「疑わしいことをしたから逮捕されるのだ」というのはただのキレイごとで、ドラマでも何回も「法律とはなにか」という問いが取り上げられていますが、「法律」とは本当に解釈次第で人を貶める「罠」にもなりうる恐ろしいものでもあります。
今週(第6週)では兄に引き続き、崔香淑も戦時色を強めていく日本を離れて朝鮮に帰国し、ほかの仲間たちも次々と弁護士になる夢を諦めていく中、寅子は見事合格できましたが……、今後のドラマの展開を見守りましょう。