ヤクザには何を言ってもいいのか? 「工藤會トップ死刑回避」の意味を元極妻が解説
今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
目次
・工藤會控訴審の裁判長へのバッシングがひどすぎる
・「推認で死刑がアリなのかどうか」議論を
・死刑には客観的な理由が必要では?
工藤會控訴審の裁判長へのバッシングがひどすぎる
前回ちらっとご紹介した工藤會のトップのお2人の控訴審判決で、野村悟総裁の一審の「死刑」判決が「無期懲役」に減刑されたことが話題ですね。
裁判長は、「推認だけで死刑はムリ」という「判断をされた」だけなんですけど、判決を受けて裁判長へのネット上のバッシングがひどすぎて驚きました。「(裁判長は)定年後に工藤會の顧問になるつもりか」「脅されているかカネをもらっているかのどっちか」「びびりすぎる」「何かの陰謀」などなどひどいものです。
最近はネット上の誹謗中傷はわりと問題になってるのに、「ヤクザには何を言ってもいい」ということなんでしょうね。
「推認で死刑がアリなのかどうか」議論を
裁判長とともに、弁護団への批判もあるようです。「極悪人をかばう極悪人」的ないつもながらのリクツです。叩かれる一方で、減刑には「さすが」の声も出てましたが、もともと無罪を争ってましたから、弁護団も被告人もうれしくないですね。即日上告したことも報道されてます。
最高裁が「もっぺん『推認』で審理してみたら?」とか差し戻す可能性もありますが、この際ですから、むしろ「推認で死刑がアリなのかどうか」を改めて議論していただきたいですね。
この裁判は、一審では起訴内容を全面否認した田上文雄会長が、二審では一部を認めたことも話題になりました。裁判長は、別にこの「言い分」を聞き入れて減刑したわけではなく、「荒唐無稽」とまで言ったそうです。
これが「日本の三審制に意味がない」と言われる理由ですよね。前回と違うことを言っても、聞いてほしいですよ。でないと、裁判を3回やる意味がないでしょう。
死刑には客観的な理由が必要では?
話がちょっとずれましたが、裁判長は、1998年の元漁協組合長射殺事件について、事件当時、お2人がツートップだった二次団体の田中組による「組織的犯行」であることは認めましたが、当時の三代目工藤會は溝下秀男会長がトップでしたから、組織的な意思決定は溝下会長しかできない感じだったと思います。
裁判長も、「野村被告の共謀を推認するには限界がある」としています。「推認」に限界がある、というのがこの判決のポイントでした。「なんでもかんでも推認したらダメだろう」という話なんですが、日本中が「推認でいいじゃねえか」となってて、和歌山カレー事件とかも死刑判決が確定しました。
それに、元漁協組合長射殺事件は実行犯がパクられて(逮捕されて)最高裁判決も出てる30年近く前の事件で、もう終わった話なんです。被害者の元漁協組合長も、もとはヤクザでしたから、なんか「善良な小市民に向けられた銃口」みたいなストーリーはちょっと違いますよね。「細かいところは置いといて、とにかく工藤會トップを死刑に」みたいな空気は、とても怖いと思います。
ヤクザがいい人のわけないんですが、「死刑」にしたいなら、客観的な証拠がないとですよ。「大物ヤクザを死刑にする」ということに興奮してるだけな気がします。
そうこうしてるうちに「顔の見えるヤクザ」は減って、トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)が増えて、オレオレ詐欺や強盗が増えてます。この流れは止まらないと思いますが、それでいいんですか?