フジ『大奥』、Snow Man・宮舘涼太演じる「サイコパス定信」のヤバすぎ史実! 「私はムラムラしたことがない」宣言とは?
今期放送中の『大奥』(フジテレビ系)。同シリーズの熱心なファンである歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が、第7話で暗躍した松平定信について、そのヤバすぎる史実を解説します。
目次
・『大奥』の迷走ぶりを象徴する驚きのアイテム登場
・松平定信が懐妊阻止に奔走した事実はない
・史実でもだいぶサイコパスな松平定信
『大奥』の迷走ぶりを象徴する驚きのアイテム登場
2月29日放送の『大奥』第7話、五十宮倫子(小芝風花さん)が徳川家治(KAT-TUN・亀梨和也さん)のお子を授かれない原因は、女中が持ち込んだあやしいお香のせいではないか……と、侍女(ドラマでは「付き人」)のお品(西野七瀬さん)から報告を受けるシーンには驚きました。
お品は蔵の中で葉山貞之助(小関裕太さん)と密会を続けており、かつては大奥料理人だった葉山の調査によると、お香にはお子を授かりにくくする薬草が含まれているとかなんとか。
本当にそういう「コンドームフレグランス」ならぬ「ピル香」のように便利なものがあれば、吉原あたりの遊女が大金を投じても買ったでしょう(ピルは避妊だけでなく、生理痛やPMSを和らげるためにも処方されますが、今回は避妊香という意味でピル香のワードを使わせていただきます)。遊女たちにとっては、客の子を懐妊することは最大の恥辱とされていましたから……。
フジテレビはかつて昼ドラ『真珠夫人』の中で「財布ステーキ」、「たわしハンバーグ」などを登場させて視聴者の度肝を抜いてきたわけですが、今期のピル香もそういう伝統につらなる迷設定といえるでしょうか。ちなみに嗅ぐだけで子どもができにくくなる薬草の類は、古い文献もあさりましたが見つかりませんでした。
しかも第6話のラストでは、倫子が家治の前でバターンと倒れてしまい、その原因が懐妊であったことが第7話で告げられ、「ピル香、ぜんぜん効いてないじゃん!」と声をあげてツッコミした筆者でした。われわれは一体、何を見せられているのか……ピル香、2024年版『大奥』の迷走ぶりを象徴するアイテムとして、記憶に刻むことにしましょう。
ピル香の回では、倫子の女中のお梅を買収していた黒幕が、Snow Man・宮舘涼太さん演じる松平定信であったことが話題となったようです。倫子には心優しい味方のように振る舞いながら、ウラでは倫子を窮地に追いやる、えげつない行為を笑顔で重ねる姿はさすがに「サイコパス定信」の世評にふさわしいと思いますが、実際、松平定信とはどういう人物だったのでしょうか?
松平定信が懐妊阻止に奔走した事実はない
実は前々から定信の実像についてはお話したいと思いつつも、ドラマの第4話、倫子の増上寺参詣の際も偶然を装い、待ち構えていた定信との「町人コスプレデート」を見せつけられ、あまりの史実無視ぶりに筆者としては「何も言えねぇ……」とコラム執筆を放り投げてしまっていたのでした。
マメ知識ですが、ドラマにおける松島クラスの奥女中でも、城の外に出た時は10万石の藩主のための大名行列に相当する格式の行列を組まねばならないのです。松島より上の立場の御台所・倫子が増上寺に参詣しているのに、あれほど無防備でいいわけがないのですね。
しかし今回、「松平定信、倫子にピル香を差し向ける」という設定は、定信の人柄に触れるきっかけとしては逆にいい機会でしたので、改めて「サイコパス定信」について検証しようと思います。
最初にお断りしておくと、史実の定信が倫子の懐妊阻止に奔走したという事実はありません。そもそも史実の御台所・五十宮倫子は、お知保の方(森川葵さん)が側室に登用される以前に二人の娘を家治との間に授かっているので、ドラマでやっている「お世継ぎ争い」にはみじんの史実性もないからです。
あくまで『大奥』はライト感覚の「時代劇」であって、「時代劇」とは吉宗公(『暴れん坊将軍』)や、光圀公(『水戸黄門』)も街中を自由にウロウロできるという史実ガン無視の設定こそが命である、という考えもわかるのですが、まぁ……何度も申し上げている通り、今期の『大奥』の史実改変ぶりにはセンスを疑うことばかりなんですよね(増上寺参詣、ピル香などもすべて含む)。
史実でもだいぶサイコパスな松平定信
しかし松平定信という人物、史実でもだいぶサイコパス気味の言動で知られました。
ドラマの定信は家治を憎んでいますが、史実の定信が「斬る」とまでいって恨んでいたのは、定信が他家の養子に出され、また定信以外の人物を次の将軍候補に据えるのに尽力したといわれた田沼意次でした。このあたり、また機会があれば詳しくお話しします。
松平定信は、田沼意次の失脚後、次の老中になった人物ではありますが、田沼が幕府の財政再建の要として打ち出していた重商主義――つまり、従来のように農業よりも商業を盛んにせねばならないという考え方をリセットしてしまい、「神君」家康公以来の重農主義に戻してしまったり、質素倹約の励行を推進しすぎて、武士や庶民の生活などにもあまりに激しく介入し、結局、彼のファンだった層にもソッポを向かれて終わり……という散々な人生を送りました。ある旗本からは「器の小さい男」とさえ最終的には評されています。
また、彼を老中に登用したのは、若き日の11代将軍・徳川家斉だったのですが、男女合わせて(一説に)55人の子どもを作った「エロ将軍」の夜の生活にも定信は介入し、セックス回数を制限しようとしたらしく、6年ほどで老中を罷免されています。
定信が空気を読めないKYすぎる御仁であったことは私生活の記録からも明らかで、その名も『修行録』という彼の随筆には「私はムラムラしたことがない」と宣言しています。
自分を慕っている女中の結婚が決まり、田舎に帰ることになったので、最後の一晩を共に過ごすという局面を迎えてもなお、彼女とは布団の中で添い寝しつつ、耳元で「妻の心得」などを説教して終わったとも書いています。
この時、定信28歳。これをサイコパスといわずしてなんというべきでしょうか。
しかも実際の定信は「ムラムラしたことがない」どころか、この16歳の娘に手出し済みなのでした。彼女の顔は好きだったけれど、性格が苦手だったので、別の男に嫁がせて用済みにしようとしていたところ、「別れたくない」とグズられたので、力技で縁切りにして田舎に追いやった話を精一杯に美化したのが、『修行録』の「説教添い寝」の一節なのです。
ドラマの定信なら、平気でやらかしそうな話ではありますが……。