サイゾーウーマン男性アイドルSTARTO(旧ジャニーズ)KinKi KidsKinKi Kids「硝子の少年」 男性アイドル KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」、二人だけだからこそ放ち続ける「硝子の輝き」 2024/02/07 15:00 太田サトル(ライター、アイドルウォッチャー) KinKi Kids 尋常ではなく輝き続けているKinKi Kids(写真:サイゾーウーマン) STARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント)が誕生して3カ月がたった。ジャニーズの要素が排除される中、後世に残したいジャニーズ名デビュー曲のレガシーをライター・太田サトルがひもとく。 KinKi Kids「硝子の少年」 「硝子の少年」は1997年7月に発売されたKinKi Kids(以下、キンキ)のデビューシングル。ジャニーズ事務所の楽曲としては近藤真彦の「スニーカーぶる〜す」(80年)以来2作目のミリオンセラーを記録した。作詞・松本隆、作曲・山下達郎。 デビュー前から日本武道館でコンサートを開催、ドラマ出演も果たし、96年の『NHK紅白歌合戦』では近藤真彦のステージにゲスト出演するなど大活躍していた2人の満を持してのデビュー曲だ。 その世界観の入り口へといざなう、ピアノをメインとした前半部のイントロは15秒もある。そこからサビのメロディに合わせた雰囲気のメインイントロへと続き、情感が高まったあと、ほんの一瞬だけ休符。そして、歌い出しの<♪あっ、めっ、がぁ>のインパクト。この先、ずっと続くことになる「ふたり」のストーリーの入り口だ。 デビュー曲にまつわるよく知られたエピソードとして、同じ制作布陣による3枚目のシングル「ジェットコースター・ロマンス」、そしてファーストアルバム『A album』収録の「Kissからはじまるミステリー」が先に候補曲として挙がっていた中、最終的にリリースされたのは「硝子の少年」だった、というものがある。 97年当時は小室ファミリー、安室奈美恵、SPEED、PUFFY、B’z、GLAYなどどちらかといえば華やかでダンサブルな曲が多数ヒットしていた時代。同じ旧ジャニーズでいえばSMAPが「SHAKE」や「ダイナマイト」をリリースしていたころだ。そんな中でのこの曲調だ。ともすれば、「暗い」印象の曲かもしれない。 ジャニーズデビュー曲として考えても、それまでの少年隊「仮面舞踏会」、男闘呼組「DAYBREAK」、光GENJI「STARLIGHT」などの派手さに比べると相当“しっとり”である。「スニーカーぶる〜す」はややマイナー調な部分もあるロックサウンドだが、「硝子の少年」ほどではない。普通に考えれば、サンバ・ホイッスルの音から始まるメロウな曲調の「ジェットコースター・ロマンス」のほうが10代ユニットのデビュー曲としては、しっくりくるだろう。 それでも、この曲をデビューにもってきたのは、デビュー前に人気・知名度の高かったキンキだからできたある種のギャンブル、またはジャニー喜多川には人気・知名度に加え、すでに表現力も高かったこのふたりだからこそこの曲調がふさわしいという、圧倒的な自信があったのかもしれない。 明るい関西イメージと、壊れそうで繊細な側面を持つキンキ 関西出身の二人は、お笑い的なスキルも高く、出演する番組などで笑いをとる場面も珍しくなかった。そもそもデビュー前の持ち歌の代表曲は、服部良一の手による笠木シヅ子の「たよりにしてまっせ」をヒップホップ的にアレンジしたもの。そこから印象づけられる「明るい関西二人組」というイメージと、「硝子の少年」は真逆の曲調だ。 ただ、キンキの二人が持つ別の顔――明るさだけでなく繊細そうな一面にピッタリフィットした。二人から時々漂う憂い。それは94年に二人が出演し、人気と知名度を一気に加速させた連続ドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(TBS系)で見せた表情で、儚いイメージも強く残った。 そんな二人が歌う「硝子の少年」は、少年のデリケートな心を描いている。光GENJIが「ガラスの十代」でうたった「なにげなく傷ついて」「壊れそうなものばかり集めてしまうよ」という世界観の延長、または進化させた世界のようでもある。それは、作詞の松本隆が紡ぎ出した「ぼくの心はひび割れたビー玉さ」といった言葉にも感じ取れる。 そして、作曲の山下達郎が筒美京平を研究したうえで作り上げたという普遍的なメロディ。とにもかくにも歌い出しの<♪あっ、めっ、がぁ>。この3音だけで、達郎感が濃厚に浮き出る。ほかにも<バスのッ><窓のッ>という音の小刻みさや、ラスト近くのコンパクトな<Stay with me>など、あちこちに“達郎感”が散りばめられている。これまで何千回と聞いたかもしれず、キンキの歌声があまりにもしっくりきていることで気がつきにくいが、10代にして“達郎感”を自分たちのものにする二人の個性は圧倒的だ。 そもそもKinKi Kidsの前身KANZAI BOYAは、関西地方出身者で構成するという構想もあったという。それが、結局は光一と剛の二人だけのユニットとなった。そうでなければならない、ほかの選択肢はなかったのだろう。 ド派手でもないし、アイドルらしいキラキラな世界観もないのに、色褪せない輝きを放つデビュー曲「硝子の少年」。二人だけだから、二人だったからずっと壊れないように硝子の輝きを放ち続けることができるのかもしれない。 堂本光一考案のコンサートタイトルが2人の運命に重なった、KinKi Kidsの不思議な力 12月19日の朝、Twitterのトレンドに不思議な言葉がランクインしていた。 「またごむ」 これは、KinKi Kids・堂本光一がJohnny’s web...サイゾーウーマン2017.12.20 太田サトル(ライター、アイドルウォッチャー) ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。 最終更新:2024/02/07 15:00 二人の存在に合掌しかない 関連記事 堂本光一考案のコンサートタイトルが2人の運命に重なった、KinKi Kidsの不思議な力ボケまくるKinKi Kidsと、丁寧に拾う鈴木あきえのコンビが輝いた『王様のブランチ』『堂本兄弟』の絆が見えた、KinKi Kids・堂本剛の「幸福の黄色いトロンボーン」たった2人なのに“特別な”グループ、KinKi Kidsの奇跡のバランスを考える紆余曲折の先にKinKi Kidsがたどり着いた、「青い鳥」のようなのどかな2人の現在地 次の記事 井村屋の非常食を実食 >