皇族の邸宅は6畳間が最大? 秋篠宮家の33億円改修工事にみる、知られざるお屋敷事情
「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回は秋篠宮家の改修工事をきっかけに、皇族のお屋敷事情をお話いただきます。
――秋篠宮家の改修工事の件が、ふたたび大炎上しはじめました。昨年9月、総工費33億円以上を費やした「新秋篠宮邸」の改修工事は完了したはずでしたよね?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 追加工事が発生するようです。「週刊新潮」(2023年8月17・24日号/新潮社)の記事「佳子さまの別居のために増額された税金支出はいくら? 『コンセント、照明器具を追加』『今後は専用通路も』」によると、佳子さまだけが「御仮寓所(ごかぐうしょ)」にお暮らしなので、さらなる改修工事が必要になったそうです。
――「女性自身」(光文社)の記事「紀子さま 『30億円改修宮邸』に大欠陥!」は、「御仮寓所」と「新秋篠宮邸」を結ぶ、佳子さま専用の通路が設けられる予定と報じています。宮内庁によると、佳子さまが「新秋篠宮邸」に同居しなかったのは経費削減のためだそうですが、もともと「新秋篠宮邸」で佳子さまのために用意された部屋にお荷物が入り切らなかったともありますね。「本当?」と思ってしまう内容ではありますが(笑)。
堀江 先程の「週刊新潮」の記事から、問題視されている部分をまとめてみましょう。まず、「天皇皇后両陛下が住まわれる皇居・御所は改修で延べ面積約5290平方メートル」であるにもかかわらず、「一連の改修で秋篠宮家に関連する建物の延べ面積は5500平方メートルを超えること」になってしまっていることですね。
天皇家と秋篠宮家がそれぞれ同等の建物を有し、独自に外交を展開することは、“二重権力”が発生している状態といえるかもしれません。
――「新秋篠宮邸」の改修工事では、「内装に金(きん)を用いてほしい」などの紀子さまのご希望が影響し、総工費は当初よりも1億6千万円ほども増額。結果的に35億円以上に上ったことも書かれています。
堀江 要するに週刊誌はこぞって「増税と物価高に苦しむ国民をよそに、秋篠宮家は税金を使ってぜい沢な改修工事をしている」と言いたいようです。
――先日、秋篠宮妃・紀子さまは、改修費用が増額していくことに「心配していた」とコメントなさいました。
堀江 金の使用などについてはともかく、さまざまな希望が宮家から出されたのは事実だと思います。しかし、それを実現していくのは宮内庁と、工事を担当した会社の仕事ではありませんか? いくらかかるという工事会社からの見積もり額には秋篠宮家だけでなく、宮内庁からもゴーサインが出されていたと考えるのが自然でしょう。
「心配していた」という紀子さまのご発言からは、ご自分たちの意図が思わぬ形に結実してしまった……というニュアンスが読み取れる気もします。
庶民的だった秋篠宮家の住居
――なるほど。昔から秋篠宮家は居住空間については「庶民的」だといわれてきました。90年代前半の秋篠宮邸は、現在では「旧御仮寓所」と呼ばれ、ナマズの飼育池を含む広大な庭もあったにせよ、木造モルタル平屋建ての3LDK+S(サービスルーム)程度、建物自体はわずか105平米ほどでした。
堀江 住まいに対する感覚が極端でいらっしゃるのです。この頃には今とは逆で、「庶民的」すぎて「おいたわしい」などという声が週刊誌上でも散見されました。さすがにこのままでは、簡素すぎるのではないか……とさえいわれていたのです。
――この頃から紀子さまが内装については積極的に発言なさったようですね。
堀江 インテリアについてかなり発言なさったという「アサヒグラフ臨時増刊」(1990年7月10日号)の記事を読みました。「旧御仮寓所」は、昭和6年(1931年)に建てられた女官のための家だったところ、昭和天皇の皇女だった鷹司和子さんが、夫に先立たれたことなどを理由にお住まいでした。和子さんが亡くなられてからは空き家だったのですが、平成2年(90年)、イギリスへ留学中の秋篠宮さまのかわりに紀子さまが宮内庁工務課と交渉し、改装させたのが「旧御仮寓所」だったのです。
――この時、建物の改装経費は2700万円程度でしたが、庭園部分の工事や秋篠宮家に仕える職員のための事務棟もそばに立てられたので、総額で8000万円にはなっていたそうですね。その後、平成6年(94年)に佳子さまがお生まれになると、それから子ども部屋と看護師部屋などが増築されました。
堀江 しかし、平成12年(2000年)3月には、昭和47年(1972年)に建築された旧秩父宮邸を6億5千万円かけて改修、具体的には宮家の私室部分を増築させた上でのお引越しが行われました。これが「旧秋篠宮邸」です。
庶民の経済感覚では改装だけで6億円はかなりの巨額でしょうが、この頃は秋篠宮家の人気が高く、工事費用についてのバッシングはあまりなかったようです。6億という数字は個人的に興味深いですね。
――それはなぜですか?
堀江 昭和45年(1970年)11月12日に新築祝いが行われた、「東京・港区の青山通りぎわ」の三笠宮邸の建物部分の建築費用は「1億6千万円」だったという記事を読んだからです(11月12日新築祝い これが、1億6千万円の三笠宮邸です」、「女性自身」1970年11月28日号)。
同記事には東京・世田谷区の「成城(学園)の高級住宅よりは簡素です」と説明されていますね。ちなみに昭和40年代の1億6千万円は、現代なら6億4千万円程度くらいではないか、と思われます。
――改修だけで33億円以上と聞いていると、6億の豪邸もずいぶんとお安く感じてしまいます。昭和40年代は高度経済成長期に入っていますが、学生運動も盛んだった時期ですよね。
堀江 それはつまり、生活苦にあえぐ庶民たちもまだまだ多かったということが背景にあり、当時の宮内庁のお役人も、皇族がたも質素倹約に努めているというアピールをせねばならないと考えたのでしょうね。
皇族のお屋敷のスタンダードは、6畳が最大でほかは3畳半
――昭和天皇の弟宮の三笠宮さまの邸宅が、「当時の成城学園の高級住宅よりは質素」というのは本当だったのでしょうか?
堀江 そこまで質素ではないと思いますよ。三笠宮邸の建物の広さは、1068平方メートル(323坪)。最低でも、300坪とか、それ以上の敷地に見合うお屋敷です。
たしかに昭和初期、成城の土地が分譲販売された時は、格安だったこともあり、300坪、400坪程度のお屋敷が普通にあったそうですが、昭和40年代にも入ると、値段の上昇とともに土地・建物ともにかなり細分化され、再販売されていきました(住宅生産振興財団『成城“理想的文化住宅”誕生の背景その2』)。
しかし、改めて注目されるのが、三笠宮邸では公邸スペースは広く設けられているのに、私邸の部分はがかなり狭かった点です。侍女長の部屋が6畳なのが一番広く、ほかの部屋は3畳半くらいしかなくて「狭苦しい」と記事に書かれています。
――狭い部屋が中心だったにせよ、「新秋篠宮邸」が「本当に33億円もしたの?」と思われる地味な仕上がりだったのに対し、三笠宮邸は重厚なインテリアだったようですね。
堀江 この「女性自身」の記事には、三笠宮邸こそが、今後の皇族のお屋敷のスタンダードになるだろうとも書かれていますが、「新秋篠宮邸」も6億以内……多くても10億円内に収まっていれば、ここまで問題視されなかったかもしれません。
現在もしきりに「新秋篠宮邸」が33億円(かそれ以上)なのに、天皇家の御所の改修費用が8億7千万円だったという比較がされています。庶民にとって、皇族がたのお屋敷は10億円までというのが許容の限界の数値なのかもしれません(笑)。
そもそも戦後の皇族にとって、どんな邸宅に住むかは、頭の痛い問題となっていたのですね。次回に続きます。