「なんで高校野球の応援しなきゃいけないの?」「何様だよ」チアと吹奏楽部が抱く、甲子園への本音
連日、朝から晩までテレビで放送されている「夏の甲子園」。高校球児が汗を流す姿を毎年楽しく見ている高校野球ファンもいるだろう。しかし野球部の試合にもかかわらず、チアリーディング部や吹奏楽部までもが「原則参加」とされている事実は意外と知られていないのでは?
サイゾーウーマンでは、かつて高校野球の応援に「駆り出されていた」という、元吹奏楽部員&元チアリーディング部員の対談を実施。「内心『負け』を願っていた」「野球部だけが特別視されることに違和感」など応援する側の本音や、「エロ目線で見られる」というチアの存在の葛藤などが飛び交った同記事を、あらためて掲載したい。
※2020/08/15公開の記事に加筆、再編集を加えています。
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「夏の甲子園」といえば、吹奏楽部やチアリーダーがアルプススタンドで応援のパフォーマンスを行う光景もおなじみになっているが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け2020年は中止となった。8月10〜17日には、3月に開催予定だった「第92回選抜高等学校野球大会(センバツ)」への出場が決まっていた全32校による「2020年甲子園高校野球交流試合」が無観客で開催されたものの、「応援団がいなくて残念」という声もある。
しかし、実際にスタンドから高校球児を応援していた人たちは、どのような思いがあるのだろうか。今回は、元当事者たちに、リアルな実情や本音をぶちまけてもらった。
<座談会参加者>
A子:関東近郊の某公立高校、吹奏楽部出身
B美:地方都市の某私立高校、チアリーディング部出身
野球応援に“駆り出される”私たちのホンネ
――別々の部活に所属していたお二人ですが、「野球部を応援する」という同じ活動をしていたんですね。
A子 私が所属していた吹奏楽部は、顧問の方針もあって、高校野球の応援によく駆り出されていました。でも、炎天下での演奏は大変だし、自分たちだって大会の練習があるのに……と、正直モヤモヤする時もあったりして。
B美 私はチアリーディング部として、野球部の応援に行きましたね。当時はこれも活動の一つだと思っていたし、普段の練習よりラクっちゃラクだったので、それなりに楽しんでいたかな。でも引退してから、メディアが応援も含めて感動を煽るような取り上げ方をしていて、すっかり高校野球が苦手に……(笑)。
――今年は甲子園が中止になりましたが、各地で代替大会が行われていました。しかし、スタンドでの応援は自粛になり、SNSでは「応援がなくて寂しい」という声も見られます。一方、応援をする当事者からの声は、あまり表に出ません。
A子 応援に行くのが当たり前になっているので、本音では「行きたくねえ」と思っていても、大きな声では言いづらいです。うちの高校の吹奏楽部の場合、顧問が高校野球大好きで「みんなで行くぞ!」というテンションだったので、問答無用で応援に行かされていました。吹奏楽部のコンクールと日程がかぶったりしない限りは、原則全員参加で、「行かない」という選択肢はない。でも、自分たちだって夏にコンクールを控えているんです。野球部が頑張っているのもわかるけど、野球部が勝ち進むと自分たちの練習時間がなくなってしまうため、私は「この辺で負けてくれないかな〜」と思うことが結構ありました。
B美 ブラバンやチアって、高校野球の応援が「活動の一環」になっていて、「当然応援するもの」だと思いこまされていますよね。個人の気持ちはさておき、少なくとも建前としては、自分たちの学校のチームを応援する。でも、部活動の一環として強制的に応援させられている以上、内心「負け」を願うこともあります。
私がいたチア部でも「負けてほしい」とこっそり言っている子はいました。「スタンツ(組体操)やダンスがやりたくて入部したのに、なんで野球の応援しなきゃいけないの?」って。生真面目でストイックな子ほど、疑問を抱いていた印象です。
それでも、応援しているうちに感化されてくるというか、「演技で人を元気にする、応援するのがチアというスポーツ」だと日頃から顧問に言われていたので、だんだん積極的に応援するようになっていました。一方で、野球部が勝ち進めば進むほど、自分たちの練習時間が減ってしまうことも頭にはありました。夏はチアも大きな大会を控えていましたから。
A子 ぶっちゃけ、「あそこの高校は野球部強くないから練習できていいよな」って思ったりしていました(笑)。野球部が負けてくれれば、自分たちの練習に時間を費やせるのにな、と。
B美 わかります(笑)。しかも野球の試合って長いし、延長戦になると3時間以上かかっちゃったりもして、当然決着がつくまでやるから、終わりの時間が見えない。生理中の野球応援が本当につらかったのを覚えてますね。
A子 どんなに延長して試合終了が遅くなっても、私のいたブラバンは球場から学校に戻って自分たちの練習をしなければならず、それが一番嫌でした。ブラバンはブラバンで大会を控えているので練習しなきゃいけませんが、体が疲れているから、100%の力では練習できないし、効率も悪い。ずっと残業しているようなもので、実のある練習になっていたのか疑問です。野球部の人たちは、今ごろ家に帰ってクールダウンしてるだろうなって思いながら、こっちは練習……。不公平だなあって思っちゃいますね。
B美 野球部のスケジュールにかなり振り回されますよね。野球の応援が好きな子はいいけど、そうじゃなければ納得がいかないと思います。
応援したのに「うるさい」「やめて」と言われるブラバン
――野球応援をしている時に「大変だな」と思うことはありますか?
B美 ブラバンの人たちは、試合の状況を見て「どの曲をやるか」を判断しなきゃいけないから、大変そう。場面によって演奏する曲が変わってくるじゃないですか? チアはブラバンの演奏する曲に合わせればいいですが。
A子 そうなんです。打者によっても曲が変わるし、ヒットの曲、ホームランの曲と、場面によって演奏する曲が決まっていて、常に試合を見ている必要がありました。あと、「演奏してはいけない時間」っていうのがあって。たとえば、選手たちが集まって指示を受けている間は、絶対演奏しちゃいけないんですよ。なぜならば「うるさいから」。じゃあブラバン呼ぶなよ(笑)!
B美 いやいや、何様だよ……って感じですね。
A子 どのくらいうるさいんだろうと思って、野球部に聞いたことがあるんですけど、どうやら本当に迷惑らしくて。ブラバンの顧問は「迫力のある応援をすることで、相手チームにプレッシャーを与える」とか言っていましたが、実際は自分たちの学校の野球部にとってもプレッシャーだったみたいです。満塁になった時や、逆転できそうな時に演奏する曲もあるんですが、「その曲が流れると緊張するからやめてほしい」と言われましたからね。それからというもの、「応援」という行為自体が一方的なものである、ということを忘れないようにしようと思ってます。
――逆に、応援していて「楽しいこと」はありましたか?
B美 入部当初は、チアのユニフォームが着られることだけでうれしかった気がしますね。応援うんぬんより、「自分がチアリーダーになれた」と実感することが重要でした。私の場合、当時はチア部のある高校自体が珍しかったし、チア部であるという事実が自分の中でアイデンティティになっている部分もあって。他校の友達に「チアは野球の応援とかできて楽しそう」とかうらやましがられると、うっすら気分がよかったり。
そういう意味では、正直なところ、本心から野球部を応援しているわけではなく、自分のアイデンティティを確認するための活動の一つだったんだと思います。だんだん試合が面白くなって、多少は気持ちが入るようになりましたが……。冷静に振り返ると、野球部が勝ち進むことのうれしさは、自分のアイデンティティを確認する機会が増えたからだったのかもしれません。でもそれって、チアの大会に出場した時にも得られていたし、「野球の応援」だからこそ得られるものってわけではないかなあ。
A子 私は自分の知っている子が試合で活躍している時ぐらいじゃないと楽しくなかったですね(笑)。1年生の頃は同級生も出ていないし、試合を見ていても正直よくわからないし、別に楽しくない。そのくせ暑い中での演奏はすごく大変。だから、1、2年の時は全然楽しくなくて、3年になってようやくクラスメイトが選手として出るようになり、応援する気持ちになりましたけど。
B美 逆に「応援が楽しくて仕方ない!」という感じの子もいましたね。まあ、チアは「笑顔」で応援するというスポーツなので、試合会場でも明るく元気に振る舞わなければいけないのですが……。感極まって涙目になっている子もいたなあ。
A子 自分の学校が負けて泣いている子もいましたね。そんな中、私は周りが泣いていると、どんどんしらけて「やれやれ終わった」と……。うちの高校の場合、一番楽しんでいたのは顧問の先生だったと思います(笑)。