宗教2世の私が、信者の親からもらった手紙――「話し合ったら最後」と思っていた父と和解できたワケ
それから大学を卒業して社会人になり、今や宗教で悩んでいた過去は遠い昔のことになりつつある。おかげで徐々にやりたいことが見え始め、そこから初めて自分の人生を歩めるようになった気がしている。あの時、親にヒステリックなメールを送ったことが、自分の長い宗教への苦悩をあっさり終わらせてしまったのだ。
また、話し合いをしてから、親も少しずつ変わっていった節があった。それまで自分の理想を子どもに投影していたが、ようやく「子どもには子どもの人生がある」ということを理解したのだと思う。親自身の未熟さというものにも気づけた。確かに世に言う子育て法はたくさん出回っているけど、2世の子育て法なんてどこにもないものね。
今でも親と話していると(この人やっぱりやべ〜)と思うことはたくさんあるが、お互いの考え方には干渉しないと決めているので口出ししない。また親も、宗教的にはてなマークが浮かぶようなことを私がしても、極力言わないようにしてくれている。いまだに昔送りつけてきた怪文書を見ると血が沸騰するような感覚になるし、物心のつく前から、子どもに思想を強制するなんてやはり恐ろしいなと思うが、まあ私と親はあのときお互いある程度納得のいく“及第点”を見つけられたということだ。
宗教が介在する人間関係は特殊――私にとっての「苦しみ」の根っこ
私が気づいたのは、物心ついた頃から苦しんできた自分の悩みは、宗教によって生じた親子のすれ違いだったのだということ。
親は宗教のせいで私が信仰を望んでいるとずっと勘違いをしていたし、私は宗教のせいで親に話が通じるはずがないと思い込んでいた。我々親子はあの瞬間まで、本当の意味でのコミュニケーションを取ってこなかったことを痛感させられた。
宗教が介在する人間関係というのは、こと日本ではやはり特殊で、信仰という強いつながりがある一方、宗教抜きで、いち人間同士として接するのを怠ってしまうことは多いように思う。たとえそれが親子の仲であっても、である。2世の親たちへ、子どもは信仰がなくてもあなたの子どもなのよ! 大事にしてくださいね!
それまで私は、悩みを取り払うためにいろいろなことをやってみた。例えば、カウンセラーに相談してみたり、SNSで謎の「宗教2世アンチ垢」を作って延々と愚痴を吐いてみたり……しかし心が晴れることはほとんどなかった。
そんな紆余曲折を経て、結局、親との話し合いであっさり解決してしまったのは自分の中でかなり驚きだった。また何より親が“話し合えるタイプ”だったことは、とても運が良かったと感じている。
もちろん皆が同じ方法で解決できるとはまったく思わない。だが、「信者である親に話が通じるはずがない」という思い込みを、思い切って一度捨ててみることで、親子関係に何か新たな変化が訪れる可能性もあるということを、ここで伝えたい。
また、解決することは難しくても、親の言動に対し、「これは宗教による思い込みではないか」という視点を持つことで、より俯瞰して自分の悩みを見ることができ、気持ちが軽くなる人はいるのではないか……。そんなささやかな願いを込めて、この記事を書かせていただいた。やはりメディアでは教団や被害者のショッキングなエピソードを伝えがち。こんな地味な体験談はなかなか見かけないが、何か悩んでいる人のヒントになれば幸いである。