父が急死した春、台所に置かれた“目を疑うもの”――亡父との不思議なエピソード2選
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
父は自分の死期がわかっていたのかも
「90歳直前で亡くなった父……大往生でも、喪失感に襲われたワケ」で紹介した宮坂志満さん(仮名・60)。父親を突然失った悲しみから、少しずつ立ち直ろうとしている。そのきっかけとなったのは、いくつかの不思議な出来事だ。
父親はふるさとを遠く離れ、宮坂さん家族のもとに来てから、知り合いもいない場所で、毎日の手持ち無沙汰を慰めるように自分史を書いていた。
「幼いころからのできごとから今に至るまで、それは詳しく書いてありました。日記もつけていなかったのに昔のことをよくこれほど鮮明に覚えていたものだと、子どもたちと感嘆しました」
印刷屋で製本していたというその自分史を、宮坂さんはこれまでちゃんと読んだことはなかった。そこで四十九日の法要のときに、父親や家族の歩みをたどろうと子どもたちと読んでいったのだ。
「巻末に年表まで付けていたんです。世の中の出来事、自分や家族の出来事の欄があって、左には西暦と元号も表示されていました。平成のときに作っていたので、令和の表記はなかったんですが、その平成が35年、つまり2023年、父が亡くなる年で終わっていたんです。父は天皇陛下と同じ年なので、2023年で90歳。そのあたりで平成も終わるだろうと思ったのかはわかりませんが、奇しくも自分の亡くなる年で年表が終わっていたことに驚きました」
父は自分の死期がわかっていたのかもしれない……とまでは思わないが、単なる偶然だとも思えない気がした。
こんなこともあった。
父が急死した春、台所に見つけたもの
「父は庭に、わざわざ田舎からザボンの木を運んでもらって今の家の庭に植えていました。田舎にいたときに、思い入れがあった木だというわけではなかったと思いますが、こっちで植えてからは、毎冬大きな実がなるのを楽しみにしていました。父や私が毎日食べても食べきれなくて、離れて暮らす孫たちに『取りにおいで』と連絡したり、近くの友人たちに分けてあげたりしていました。毎年の行事のようになっていて、いろんな人に全部の実を配り終えたら冬が終わる、という感じでした」
今年も何とかすべての実を食べたり配ったりして、ザボンの季節を終えていたのだが、父が急死した春。台所にそのザボンが置いてあった。まるで、父が「食べろ」と言わんばかりに。
「驚くと同時に、自分の目を疑いました。なんで? この冬に全部食べてしまっていたよね?」と宮坂さんが夫に聞くと、庭にザボンが落ちているのに気付いた夫が、台所に持ってきたのだということがわかった。
「それにしても、まだ実が残っていたなんて。こんなこと、ザボンの木を植えてから初めてです」
父が、「採り忘れていたぞ」と笑う顔が見えるようで、仏壇に供えた。
季節外れのザボンに、父の気配を感じたことで、宮坂さんの心は少し前を向いた。
「そばにいてくれてるのかな、と思えるようになりました。もし私のことが気になって天国に行けていないとしたらかわいそうなので、いつまでもメソメソしていてはいけないなと思っています
知らないおじさんからもらったカニ
宮坂さんと似たような経験を話してくれた人がいる。
井波千明さん(仮名・56)だ。井波さんも、父親が「具合が悪い」と言ったときに、すぐに病院に連れていかなかったことを後悔していた。翌日病院に連れて行こうと思っていたから、急変を見逃して死なせてしまったと自分を責めていたのだ。
父親の四十九日もまだ済んでいないころ、井波さんが最寄りのバス停でバスを待っていると、見知らぬおじさんが自転車で通りかかった。そして「近くの浜で採れた」と、ワタリガニを見せてくれたのだ。井波さんや弟に、おいしいものを食べさせるのが好きだった父が、季節ごとに食べさせてくれたのがワタリガニだったので、父親がふいに現れたように思えたという。
「そのおじさんに『父が好きなカニです』と言うと、おじさんは『じゃあこれ、あなたにあげるから、お父さんに食べさせてあげて』とカニをくれたんです」
井波さんはあっけにとられながらも、ありがたく受け取り、茹でたカニを仏前に供えた。
「父は亡くなってからも、私たちにカニを食べさせてくれようとしたのかもしれません
それなのに、食事制限のある父に必死に対応していた。好きなものを思う存分食べさせてあげればよかったと、また反省してしまうのが井波さんらしい。親が亡くなると、後悔は尽きないのだ。