『ザ・ノンフィクション』タクシードライバーをしながら芸能活動をする30代、「年齢という壁」に思うこと
6月25日放送の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)、テーマは「夢を追うタクシー ~目的地はまだ遠くても~」。
『ザ・ノンフィクション』あらすじ
東京練馬区にあるコンドルタクシーは、ドライバーと俳優・アイドル・歌手といった芸能活動の両立ができるタクシー会社で、オーディションや舞台の際はシフトの融通も利く。
2022年4月から運転手となった35歳の中島由依子(取材中に36歳になる)は奈良県出身。短大を卒業後、アパレル、パチンコ店で働いたのちに28歳で地元奈良のモデル事務所に所属し芸能活動を始める。ウェディングモデルの仕事もあり充実していたものの、34歳のときに「ミスFLASH2022」のファイナリスト10人に選ばれ、週刊誌「FLASH」(光文社)の表紙を飾り、これが中島に上京を決意させた。
しかし、その後の芸能活動は鳴かず飛ばずで、30人以上もの水着モデルが集まった撮影会でも、若いグラビアモデルにカメラマンは集中する。中島としては女優活動をメインとしたいのだが、こちらも現時点ではノーギャラの舞台に上がるのみ。
31歳の仲田泰浩も、コンドルタクシーで働きながら夢を追う一人だ。取材開始時点でドライバー歴は半年足らず。仲田は岡山県出身で、高校の時に声優たちのライブを見てこんな仕事ができたらと思ったものの、本気で夢を追う勇気はその時点ではなく、高校卒業後はしばらくフリーターとして過ごす。23歳で一念発起し、岡山と大阪の声優学校に通うも、東京ほどオーディションの数がなく、資金を貯めて上京してきた。
仲田は穏やかな物腰と雰囲気で高齢者ウケ抜群なものの、違反で免停になり、復帰3週間後もまた免停になってしまう。連絡も取れない仲田を心配し、番組スタッフが自宅を訪ねると、上京前から患っていた緑内障が悪化し、手術をしたという。
緑内障は視野が欠けていく進行性の病気で、一度障害を受けた視神経は元には戻らないため、今後はこれ以上視野が狭くならないための対処療法を受けるのみ。仲田は免停中、コンビニなどほかのバイトをしていたが、タクシードライバーとしての復帰を希望する。しかし会社からは、視力や繰り返される違反の状況に鑑みてか復帰は厳しいと言われ、仲田はコンドルタクシーを去ることとなった。
ただ、仲田は「(目が)見えなくなる可能性があるって思うと、いろんなことやんなきゃなって思っちゃいます」と話し、精力的にオーディションに応募をしていた。
一方、中島はコンドルタクシーでタクシーとコラボしたグラビア撮影の企画に参加。また、コンドルタクシーが協賛している映画では、出演シーンはわずかながらもセリフのある役をもらえたのだった。
『ザ・ノンフィクション』オールドルーキーには「思い出」がない
いくつになっても夢を追っていいと思うし、実際、終身雇用制度が期待できなくなった今、若くない年齢で新たなキャリアをスタートさせる人は、かつてよりずっと増えてきている。
それでも職業によっては「若いうちに始めないとかなり不利」なものもやはりあり、芸能なんてその頂点みたいな業界だろう。そもそも若さが求められる業界でもあるのだが、さらに若い頃から活動していれば、「その芸能人を見聞した日数」がファンならずとも一般の人々にとっても、「思い出」としてカウントされるものだ。
渦中の人物である広末涼子も、「そういえば早大受験のときも世間は大騒ぎだったな」とか、ファンでない私ですら「広末との思い出」がある。いち視聴者ですらこうなのだから、芸能人を起用するスタッフ側にしてみたら、なおさらだろう。遅く世に出ようとするオールドルーキーは、多くの人にとって「思い出のない知らない大人」だ。
なお、今回同番組のナレーションを務めていたのは女優・松本まりかで、彼女は30代を過ぎてからブレークした遅咲きだが、芸能活動は10代から始めている。
『ザ・ノンフィクション』生き急がないといけない芸能界
中島も仲田も学校を卒業後、しばらくは別の仕事をしてから、一念発起し芸能の道へ踏み出した。しかし、この「しばらく別の仕事をしていた数年間」が、若さ至上主義の芸能界に進む場合、もったいないタイムロスだったように思う。中島の母親も困惑しつつ「何でもっと早くから行かへんかったん? って思ったけど」と話していた。
学校を卒業後しばらく別の仕事をしてフラフラした後、自分の道を選び進んでいくこと自体は珍しいことではないし、むしろそのくらいのほうが納得した上で進路を選べて良いとも思うが、芸能界に進むには「遅すぎる選択」なのは、素人であろう中島の母親でも私でもわかる。
芸能人を目指すならば必然として、生き急がないといけない。あらためて、芸能界は一般社会とは異なる業界だと感じた。
次回は「花子と大助 ~1450日ぶりのセンターマイク~」。2018年3月に症候性多発性骨髄腫で余命半年と告げられた宮川花子が、5年にもわたる闘病の末、なんばグランド花月(NGK)のセンターマイクに復帰するまでの軌跡。