TOKIO「DASH村」復活か――城島茂が、明雄さんの葬儀で伝えていた言葉とは?
2011年の東日本大震災から早12年、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気企画「DASH村」が再始動するかもしれない。3月19日放送回の予告映像で、メンバーが『DASH村役場』と書かれた木でできた立札を持ち、リーダー城島茂は「場所が移っても、あの時の気持ちを忘れないために」と、まさにDASH村を思わせる言葉放っていたのだ。
「日本地図にDASHの文字を載せる」とのコンセプトで、00年から福島県浪江町に作られた同村。だが、震災によって福島第1原発事故の避難対象地域になったことから、村で飼われていたヤギ4頭と羊2匹は、群馬県渋川市の伊香保グリーン牧場に移送。愛犬「北登(ほくと)」は、番組スタッフが自宅に連れ帰った。
「震災直後、メンバーの松岡昌宏は『(現地に)行きたくてしょうがない』と胸を痛めていました。番組内で農業指導にあたる“明雄さん”こと三瓶明雄さんをはじめ、地域の人たちにお世話になっていましたからね。震災から約1カ月後の放送で、非公表だった村の所在地を明かし、彼らが『僕らの気持ちは変わらない』『村は終わったわけじゃない』とコメントした際は、視聴者から大きな反響を呼びました。日テレも村の運営について『存続する方向。移転は考えていない』と話していたんです」(業界関係者)
彼らがDASH村を再訪できたのは翌年。宇宙航空研究開発機構(JAXA)のスタッフの立ち会いのもと、防護服を着て、ヒマワリ栽培の土壌浄化を行った。だが著しい除染効果は認められず、期待通りの結果には至らなかった。やがて企画は休止状態となり、スタッフはやむなく、代替企画として「DASH島」を立ち上げ、DASH村魂を何とか受け継がせた。
「それでも毎年、DASH村とは少し離れた場所で稲作を継続。21年元日の同番組では、津波被害から復活した三陸鉄道と、DASH自転車チームがリレー対決を行うなど、常に福島に寄り添ってきました。城島も、村をなんとか再開させたいという思いでいるよう。14年に他界した明雄さんの葬儀に、TOKIO代表として参列し、明雄さんの手を握り泣きながら『明雄さん、バトンをつなぐからね』と言っていたそうです」(同)
ただ“村”と“島”を同時並行で続けることは、ジャニーズ事務所の後輩をDASHメンバーに加えても、現実問題として難しい。
「スタッフ繰りは大変です。村も島も企画の方向性としては同じ『開拓』ですからね。ただ『DASH村』を最初からリスタートさせるのであれば話は別。企画が長寿化するにつれてマンネリ化していましたが、再びゼロから開拓を始めれば、“島”とはまた別の醍醐味が出ます」(同)
10年以上経過しても、「DASH村」を諦めなかった番組とTOKIOメンバー。どのような村になっていくのか、今後が楽しみだ。
サイゾーウーマン ジャニーズ情報専用Twitterアカウント「J担しぃちゃん」オープン