『笑点』を自主降板――二代目・林家三平は、「面白くないまま」大喜利を続ければよかったと思うワケ
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の有名人>
「未熟な自分は、もっと人生経験を積んで勉強する必要があると感じたから」二代目・林家三平
『徹子の部屋』(テレビ朝日系、11月9日)
二代目・林家三平(以下、三平)が、演芸番組『笑点』(日本テレビ系)の大喜利レギュラーになったのは、2016年のこと。当初から「面白くない」「父親である初代・林家三平の七光り」というふうに、彼の実力のなさを指摘する声もあった。昨年12月に、三平は『笑点』を自主降板するが、結局5年余り出演が続いたわけで、よくもったと言えるのではないだろうか。
しかし私はかねてから、三平の『笑点』レギュラーは、かなりいい人選だと勝手に思っていた。
「長所は短所」ということわざがある。もともとの意味は「長所もあまり当てにしすぎると、かえって失敗することもある」だが、「見方を変えれば評価も変わる」という言葉とも解釈され、転じて「短所は長所」などと言われることもある。
三平は『笑点』の大喜利メンバーだった頃、座布団10枚を達成することができなかった。これは「面白くない」と公衆の面前で証明されたも同然で、落語家としては短所である。しかし、番組全体で考えてみたら、どうだろうか。
三平は、初代・三平の息子というブランドと知名度がある。そのどちらもないど新人が座布団を取れない場合、視聴者から「替わりはいくらでもいるんだから、もっと面白い落語家を出せ」という声が出てくるかもしれないが、三平のようなお坊ちゃんが全然面白くないというのは、また話は別だ。
「親が昭和の爆笑王であったとしても、才能は遺伝しない」という教訓となり、溜飲が下がる視聴者もいるのではないだろうか。つまり、三平が面白くないことが、三平もしくは番組の持ち味や長所になるかもしれないのだ。
今の時代、三平が面白くなければ、SNSでも話題になる。それは番組の宣伝に貢献することと同義なわけだから、面白くないのは必ずしも悪いこととは言い切れないだろう。そう考えると、私は三平に対して、堂々と「親が偉大なのに、面白くない」まま、『笑点』の大喜利を続ければよかったのにと思わざるを得ないのだ。