30代で経験した両親の看取り――「楽しかった」と介護を振り返る娘の“原動力”とは?
試行錯誤を繰り返していた中村さんだったが、博之さんの介護のフェーズは一気に進んだ。精神科病院から退院して5カ月たった頃だ。
ホームから博之さんの肝臓の数値が悪いという連絡が来たのだ。「がんなど重篤な病気が考えられるが、博之さんの体力や認知状態からすると、検査や手術は難しいだろう」と伝えられた。このとき9月。年末まで命がもつかわからないほど重篤な状態だという。博之さんが問題行動を繰り返したのは、体調が悪かったのが原因だったのかもしれない、と符号が合った気がした。
さらに数日後、ホームから「博之さんの腫瘍マーカーが上昇している。呼吸も浅い」と連絡が来た。すでに看取り期であることを示唆されたのだ。
中村さんは、晃子さんの看取りから1年もたたないうちに、博之さんにも死期が近づいていることに衝撃を受けながらも、行動は冷静だった。ホームには緩和ケアをお願いするとともに、晃子さんの最期のように、ホーム近くのホテルに滞在して博之さんのもとに通うことにした。
幸い、博之さんは痛みを訴えることもなく、簡単な会話もできた。中村さんは、博之さんの友人たちに連絡して、会いたいという人とビデオ通話をセットしたり、「つらくて顔を見られない」という友人から送られてきた昔の写真を博之さんに見せたりした。
「困惑したのは、父のこの状態がどれくらい続くのかということ。3つ並行してやっていた仕事のうち2つは休めたものの、1つは休めなかったので、ホームのある市から都内まで通っていました。母の看取りは1~2週間でしたが、休ませてもらうにしてもどれくらい休むことになるのか、判断に迷いました」
先の見えないトンネルは、10日後には出口が見えた。中村さんが仕事先からホームに向かっていると、「危ない」との連絡が来た。
「ホームに着いて、私が寝るためのベッドをつくってもらっている間に、父は息を引き取りました。母は最期までずっとついていられたのに、父は私がほんのちょっと席を外している間に……。でも友人から『人は亡くなるときを自分で選んでいる』と言われて、ああそういうことなんだと気持ちが楽になりました」
中村さんは、晃子さんの葬儀から1年もたたないうちに、博之さんの葬儀を行うことになった。
――続きは11月20日公開
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