嵐・相葉雅紀、まるで“七変化”な祖父の職業告白! 「定食屋さんをやってた」「最後はタクシードライバー」
嵐・相葉雅紀がパーソナリティを務めるラジオ『嵐・相葉雅紀のレコメン!アラシリミックス』(文化放送)。10月28日深夜の放送回では、祖父との思い出について語る場面があった。
この日、リスナーの譲れない“カッチカチなこだわり”を紹介する「カッチカチ!プリン」のコーナーに、「幼い頃、母が焼いたお好み焼きをナイフとフォークで食べていました」というお便りが到着。いわゆる“ステーキ”のような食べ方でお好み焼きを食べており、大人になってから普通は“はし”で食べると知り、驚いたのだそう。
このメールに相葉は、「お父さま、お母さまがおしゃれなんだよ、きっと。海外生活してるとかさ」とコメント。放送作家で番組アシスタントを務める“ちかさん”が、「あとは、子どもだから、あまりはしがうまく使えないから(ご両親がナイフとフォークで食べさせていたのかもしれない)」と想像すると、「あるかもしれないね、もしかしたら」と返答していた。
その流れで自身の幼少期に思いを馳せた相葉は、「(亡くなった)じいちゃんがさ、ご飯をフォークで食ってたのよ。フォークの裏にグッて米をのせつけて(食べてた)」と、レストランで食事するときのように、平皿にご飯をよそって食べていたと回顧。幼い相葉はそんな祖父を「かっこいいなぁとずっと思っていた」という。
「おじいちゃん、なんでそうなったんだろうね?」と疑問を浮かべるちかさんに、相葉は「洋食屋さんというか、定食屋さんをやってた」と告白。1階が店、2階が居住スペースになっている家に住んでいたそうだ。
相葉は「俺、(店の)ハムカツが大好きで」とも明かし、「小さい頃、調理場に台を持ってきてさ、じいちゃんの隣に」「ハムカツ、叩くんだよね、揚げる前に。鉄の鈍器みたいなやつで。『じいちゃん、これ揚げて』ってやってたのを思い出すわ」と懐かしそうに振り返っていた。
なお、祖父は定食屋の前は車屋をしていたといい、定食屋の後は「雀荘(で働くように)なって、最後はタクシーのドライバー」として働いていたのだとか。相葉はさまざまな仕事に就いた祖父の様子を「七変化!」と表現していたのだった。
この日の放送に、ネット上では「相葉くんのおじいちゃんエピソード、おそらく初めて聞いたかも! 経歴もすごい」「いろんな職業を経験されてたんだね」「おじいさんの洋風なご飯の食べ方、ハムカツの思い出、お仕事歴を順番までしっかり覚えてたり……記憶力もすごいけど、おじいちゃんのこと大好きなのが伝わってくる」「相葉くんのハムカツ好きはおじいちゃんの定食屋さんから始まってるのね」などの反響が続出。
また、相葉といえば、実家が中華料理店を営んでいることはファンの間でも有名なため、「相葉くんは中華料理店の息子で定食屋→雀荘→タクシードライバーの孫なのか」「相葉くんの家系って“お料理”と縁が深いんだなぁ」との声が集まっていた。