『ザ・ノンフィクション』28歳、自分探しの旅の結末「彼女が旅に出る理由 ~すれ違う母と娘の行方~」
本人たちは、自らの心の発露に任せて口にしているのだろうが、その発言はどこかで習ったのかと思うくらい、共通点があるように思う。たとえば、この2点だ。
・働くこと、現代社会、同世代の若者などをディスる
・周りの人間とは異なり、自分たちはわかっていて意識が高いという目線
彼らの言葉は、良くも悪くも特別なものではなく、若者が持ちがちな“万能感”に加えて、“自然派”という足場を得たことで口をついて出たものだろう。
これらの若者は5年後どうなっているのだろう。それこそミサトが憧れ涙した、ヒッピーからアップルを興したスティーブ・ジョブズのようなスターとなるのか、自分のこの発言を黒歴史として恥ずかしがるのか、中高年になっても変わらず周囲をディスっているのか。
『ザ・ノンフィクション』“生活”が苦手な人々
ミサトは幼少期のころ「不思議な子だね」と周囲から言われ、先生からは「時と場(を選びなさい)」と注意されていたと話し、KYだったと幼少期を振り返る。また、大人になってからは、職場を転々としている。
そんなミサトも、ようやく居場所を得た自然派の世界で万能感に酔いしれていたものの、金という現実が追いかけてくる。定住しようとした大分のネギ農家も辞めてしまったという。
学校や職場で日々を送る――ミサトはそんな一般的な“生活”が苦手なのだろう。『ザ・ノンフィクション』を見ていると、同じように社会生活がかなり苦手そうな人がよく出てくる。ただでさえ「働くこと」は楽ではないが、日々を過ごすことが苦手な人にとっては働くことのハードルはますます高いものになるだろう。
番組では元タレント・坂口杏里を取り上げた回もあったが、坂口はミサト以上に日々の生活が苦手そうだった。人生を年表にすると、短期間で何もそこまで、と思うほどイベントが目白押しで、周囲にしてみたら地に足がついておらず、極端で、行き当たりばったりで、反省がないように見える。それはミサトも同じで、しかし本人にしてみれば、その一つひとつが人生をより良くしていきたいという、誠実で真面目な決断の積み重ねなのだろう。その決断と結果のズレは気の毒に思う。
次週は「母と娘の芸者物語 ~箱根で生きる女たち~」。箱根芸者の伝統もコロナを前に岐路を迎え……。