教師だった義父は、肩書を取ったら何も残らなかった――趣味も友達もない老人ホームでの姿
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
義父の人生って何だったんだろう
「『いくら認知症とはいえ理解できない』母のことが大好きだった父……老人ホームで『母に激しい暴力を振るう』」でお話を聞いた真山昌代さん(仮名・57)が、その後の義父母の様子を伝えてくれた。
義父母は同じ老人ホームに入居したが、義父が突然、義母に激しい暴力を振るうようになり、義母は同系列の別のホームに移った。義父と離れた義母は「冷蔵庫がしゃべる」「テレビが動く」などといったそれまでの認知症の症状がすっかり落ち着き、普通の会話もできるようになった。
それだけでなく、それまで住んでいた自宅マンションに時折戻って、趣味のサークルに顔を出すまでになったという。遠距離ではあったが、そんな義父母の様子を見ていた真山さんは、感に堪えないように言う。
「教師だった義父は、定年まで真面目に勤め上げました。でも退職して教師の肩書を取ったら、何も残りませんでした。趣味もないし、地元に友達もいないので、地域の人と交わることもありません。認知症になって老人ホームに入るお金があったのはよかったし、私たちにとってもありがたいことでしたが、ホームの義父の部屋に入ると、義父の人生って何だったんだろうと思ってしまいます。部屋にあるのは、ベッドとテレビだけ。義父の1日は、寝て、食べて、テレビを見るだけ、ということです。ホームで誰かと親しく話しているのを見たこともない。だから、義母への暴力が始まったのかもしれないと思ったりもします」
かたや義母は、義父と離れると、生き生きとした生活を取り戻すことができた。
義父と対照的な義母の部屋
「義母は昔から多趣味でした。ホームにいても変わらず、洋裁や手芸、絵画など、毎日忙しそうに手を動かしています。部屋の中にもいろんな作品があって、義母が毎日充実した生活を楽しんでいるのが伝わってくるんです」
たまたま義母の趣味が室内でもできることだったのは、幸運だったのかもしれない。それでも、つい義父の部屋と比べてしまうという。真山さんは、パートで毎日忙しいわが身を振り返り、自分には義母のように老後打ち込めるものがあるのか……と考えてしまうと明かした。
こうして、義父母の生き方について考えるようになったのには、理由がある。義父母の家に、しばしば行かざるを得ない状況が発生したからだ。
「義父母のマンションは、義母が時々帰ることもあってそのままにしているのですが、そのマンションで大規模修繕がはじまったんです。工事業者が室内に入ることもあるので、その時には誰かが家にいないといけません。これまでホーム選びをはじめ、そうした雑務を引き受けてくれていた義姉は体調がすぐれず行けないというので、私たちが行くしかなくなって……。本当は夫の実家のことだから夫にやってほしいのですが、夫も仕事があってそう休めないので、私と有給の取りやすい娘が交代で行っているんです」
――続きは7月31日公開
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